● 1967年 キュナード・クイーンズ雑誌広告レプリカ 額入りジクレーアート
≪The big ferry, CUNARD≫
額縁・マットの色をプルダウンにてお選びください
送料無料。お届けはご注文後約7日です。価格にはアートプリントとマット・額縁、全て含まれます
作者名 :anonymous
製作年 :1967
額縁・マット : 木製カマボコ型=12mm、t=1.5mmx2枚ダブルマット、前面1.8mm厚UVカットアクリル(クラレ・コモグラス)
額縁とマット色をお選びいただけます
・黒艶消し額縁 X ブラウン/ライトベージュ・ダブルマット
・白ツヤ額縁 X ネイビー/ライトブルー・ダブルマット
額縁サイズ : 410mm x 525mm
作品サイズ : 272mm x 407mm (内側マット抜きサイズ、表側オーバーマット抜きは282 x 417mm)
当商品は伊勢和紙に顔料インクを用いたアートプリントを国産材料で額装したものです。奥行きを持たせる濃淡色二重のダブルマット仕様です。伊勢和紙は伊勢神宮の奉書紙として漉かれ全国の神宮大麻に使用されています。インクジェットに意欲的で、伊勢和紙アート紙は新たな表現材料として世界中のアーティストに使用されています。マーメード紙程度の表面テクスチャーによる風合いが楽しめ、無酸性紙に顔料の組合せはリトグラフやシルクスクリーンに比べ格段の保存性を持ち、数十年単位の鑑賞に耐えます。画像データに傷や劣化の補修、彩度などの可塑修正を施し、テストプリントを繰り返し微調整して仕上げています
● 1967年 キュナード・クイーンズ雑誌広告
1967年、キュナードの米国向けキュナード・クイーンズ、最後の雑誌1ページ全面広告です。この年の5月にはクイーンメリーの航海打ち切りが発表されるので、航海シーズン前の早春に打たれたものと思われます。前年の雑誌広告は「big」をキーワードに展開しているので、キャッチコピーの「The big ferry」はそれを意識したものと見て取れます。芸術写真と見紛う程の船尾の魅力的な写真、ニューヨーク・マンハッタン客船ターミナルの92番埠頭に係留するクイーンエリザベスの船尾を小型船で回り込んで撮影しています。そして「The big ferry」のキャッチコピー・・・厳密な定義はあいまいながら「ferry」は一般に目的地間を定期的に行き来する、どちらかと言えば移動目的の純然たる交通機関的な船を指し、典型的には海峡間の連絡船があります。通常、オーシャンライナーを「ferry」と呼ぶことはありませんが、キュナード・クイーンズをやや揶揄的に「ferry」と表現することで、逆説的に定期航路を守り続けている自信と誇りを表現しています。下の本文が圧巻で「我々は127年間に渡って big ferry を運行してきた。我々の船の一隻はアメリカから欧州へ毎週出帆、もう一隻の方は欧州からアメリカへ毎週出帆している。他の誰もこの週航サービスはできなかったし、誰もこのようなクイーンエリザベスとクイーンメリーの ferry のようなサービスはできなかった。毎週92番埠頭から出帆しているのでどうぞお越しを」といった要旨・・・それが、航空機の発展を止めることはなく、大西洋航路客船の乗客減少を食い止めることも無かったとは思うものの、出来ることなら乗客が著しい減少をたどった7年前に打って欲しかった広告です。アメリカ人の大部分は、自身または先祖が船で渡って来ました。この広告は純粋に心に響いたものと思われます。数多いキュナードの広告の中で、簡潔ではありながら、その重きを成してきた役割の重みを率直に述べた一二を争う名作広告です
第一次二次の両大戦は航空機の発達をもたらしました。1945年のロッキード・コンステレーション以降、ダグラスDC-6、ボーイング377が相次いで大西洋横断の空路に就航、しかし船会社は手荷物を制限されて座席の狭い旅客機が、少なくとも大西洋航路の乗客を奪うことは無く、旅客機は客船の役割を補完して共存するものと考えていました。1946年10月にクイーンエリザベスが「客船」としての就役を果たしてキュナードが大西洋横断航路を再開、翌1947年7月にクイーンメリーが復帰、キュナード・クイーンズ・・・エリザベスとメリーの揃い踏みがなって、ついに悲願の二隻での週航を果たします。以後1952年頃までは莫大な収益を計上、クイーンズのツーリストクラスへの乗船は一年待ちだったと伝わります。ところがジェット爆撃機・B-47のノウハウが注ぎ込まれて誕生したボーイング707が1958年に就航、乗客189名で速度1000km/hの707は従来のプロペラ機のはぼ倍の能力を持ち、大西洋横断空路を現在と大差ない10時間前後で飛ぶことができました。それまで徐々に支持を広げていた旅客機の人気は707で一気に火がつくと共存の思惑は外れ、1958年には大西洋横断の客船・旅客機の乗客数が逆転、1960年になるとオフシーズン近くではクイーンズの乗客がたったの50名という航海も珍しくなかったといいます。1961年にはクイーンズの営業収支は赤字に転落、もうクイーンズに満席の乗客が戻ることがないのは誰の目にも明らかでした。1966年にはクイーンメリーも船齢30年、キュナードは大きな転換を迫られます。しかし、後継のQ3計画は(三隻目のクイーンの意)、クイーンズを軽量化して機関燃費も向上させるのみの75000トンの新船計画で、発注と政府補助金申請まで話は進むも需要変化への対応に乏しいと株主拒否によって1961年10月に中止、仕切り直しのQ4計画は船をパナマックス規模に抑えて実質2クラスのクルーズ兼用客船となり建造が開始されます。Q4計画は1968年のクリスマスシーズン就役を目指しますが資金繰りはどんどん悪化、ついに1967年5月8日、Q4(QE2・クイーンエリザベス2)の就役を待たずに1967年10月でのクイーンメリーの航海打ち切りを発表、あわせてクイーンエリザベスはQE2就役を見届けて1968年一杯での航海打ち切りと発表されます。(結果的にQE2は1968年11月に公試でタービン破損、翌1969年1月には機関故障で二度の船主受領拒否、処女航海も一旦キャンセルの憂き目を経て1969年5月の就役になり、「交代」の演出はなりませんでした)
・ 雑感
すでに前年にはクイーンズ二隻を残して全船を売却、1967年は、キュナードにとっては広告を打つどころか、会社の存続さえも難しい乗るか反るかの年でした。現に5月には、クイーンメリーの航海を諦めてクイーンエリザベス一隻でQE2の就役を待たざるえないところまで追い込まれます。そんな状況下で打たれた広告ながら、船尾側写真の本作とコピー本文の主旨は同じで対を成すように船首側写真を使ったもう一作(キャッチコピーは「Ever been across on the ferry?」でした) は、キュナードの輝かしい「業績」が最も端的に表現されました。起死回生になりようもありませんでしたが、追い込まれると「いい仕事」ができるものだと感じ入るばかりです (T.O.)
【Maritime Gallery Ocean-Note】
● ジクレーアートプリント・客船 LL/Poster Ocean Liner INDEX
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納入事例
客船ポスター四方海話
船と港のエッセイ 1
船と港のエッセイ 2
【Maritime Gallery Ocean-Note】