● 1934年 パトローネ イタリアンラインのポスター 精密レプリカ額入りジクレーアート
≪AMERIQUE DU NORD EXPRESS, ITALIA COSULICH, FLOTTSREUNIES, STN≫
額縁・マットの色をプルダウンにてお選びください
送料無料。お届けはご注文後約7日です。価格にはアートプリントとマット・額縁、全て含まれます
作者名 :Giovanni Patrone
製作年 :1934
額縁・マット : 木製カマボコ型=12mm、t=1.5mmx2枚ダブルマット、前面1.8mm厚UVカットアクリル(クラレ・コモグラス)
額縁とマット色をお選びいただけます
・黒艶消し額縁 X ブラウン/ライトベージュ・ダブルマット
・白ツヤ額縁 X ネイビー/ライトブルー・ダブルマット
額縁サイズ : 410mm x 525mm
作品サイズ : 272mm x 407mm (内側マット抜きサイズ、表側オーバーマット抜きは282 x 417mm)
当商品は伊勢和紙に顔料インクを用いたアートプリントを国産材料で額装したものです。奥行きを持たせる濃淡色二重のダブルマット仕様です。伊勢和紙は伊勢神宮の奉書紙として漉かれ全国の神宮大麻に使用されています。インクジェットに意欲的で、伊勢和紙アート紙は新たな表現材料として世界中のアーティストに使用されています。マーメード紙程度の表面テクスチャーによる風合いが楽しめ、無酸性紙に顔料の組合せはリトグラフやシルクスクリーンに比べ格段の保存性を持ち、数十年単位の鑑賞に耐えます。画像データに傷や劣化の補修、彩度などの可塑修正を施し、テストプリントを繰り返し微調整して仕上げています
● 1934年 パトローネ イタリアンラインのポスター
戦前から戦後までイタリアンラインのポスターを数多く描いたイタリアのアールデコポスターの第一人者、ジョバンニ・パトローネによるイタリアンラインのポスターです。意図的か否かは判りませんが、ここに描かれた客船が具体的にはわからないように極めて象徴的にイタリアンラインの客船のファンネルが描かれています。困難なイタリアの国家統一事情もうかがわせるもので、1932年にはこのポスターに社名が見られるトリエステのコスリッシュラインはイタリアンラインに統合されていたにも関わらず、1934年に描かれた本作に堂々と社名が残されていたところは興味深いところです。古来ローマに属する都市として栄えながら西のヴェネツア都市国家との戦争に終始し、オーストリア帝国に保護を求めた都市国家トリエステは第一次大戦まではオーストリア・ハンガリー帝国の重要港湾都市でした。統一の進むイタリア(王国)から見れば旧ローマ帝国の一部は当然にあるべき都市領土でありトリエステは「未回収のイタリア」のひとつとなり、ナポレオン征服期を含め幾度かの自由都市という位置づけを得た時代もありましたが、トリエステ問題の解決は結局のところ第二次大戦後になります。この複雑さが本作ポスターにはっきりと見て取れ、下部コピーの一見意味不明な「ITALIA」はイタリア王国ではなくイタリアンラインを意味しており、右のコスリッシュSTNとのダブルネームになっているという構図です。
ベニート・ムッソリーニが首相の座につき、イタリアがファシズム体制に身をゆだねるのは1922年のことでした。狂信的イデオロギーや信仰心とは無縁だったムッソリーニは階級宥和ファシズム思想で政治的頭角を現します。ファシズムとはイタリア語で「束ねる」の意、全体主義をもって真の国力を発揮するという国家思想です。ムッソリーニの考えはシンプルで、これを果たすために必要なのが良い意味での強力な独裁政治でした。ヒトラーの甘言に同調したのは破滅的失敗でしたが、その経済政策は当時の国際金融資本が後押しするほど的確なもので、英国がケインズを否定して均衡財政緊縮予算を組んだ時期に、積極的な公共投資と財政支出で急速な経済成長を果たします。この経済政策の一部として、ドイツのスーパーライナーに範をとり建造されたのがNGIの客船レックスとロイドサバウドの客船コンテ・ディ・サヴォアです。1929年の恐慌で一時的後退を余儀なくされた経済成長の維持と国威発揚を二隻の客船建造に託す形になりました。イタリアンラインは、ムッソリーニの企業国営化戦略によってジェノバのNGI、トリノのロイドサバウド、トリエステのコスリッシュの3船社が合併して1932年に設立されます。二隻のスーパーライナーは建造中でしたが、他国に見劣る船社をそのまま維持するよりも、国営フラッグキャリアーに集約した方が国際競争力を発揮できると考えたものでした。従って、ムッソリーニの意図からすれば、本作のコスリッシュSTNの社名が入る部分は不本意だったと考えられます。独裁体制にあったイタリアで、複雑な事情があったとはいえ堂々とこのポスターが生み出されたところに真のイタリア統一の難しさが垣間見えます。
客船レックスは1932年8月に完成、公試運転で7時間にわたり28.9ノットの記録を叩き出して関係者を狂喜させる一方、9月のニューヨークへの処女航海では早々に蒸気タービンが故障、その後も絶え間なくの初期トラブルに見舞われました。しかし翌1933年、レックスは地中海出口のジブラルタルからニューヨーク・アンプローズ灯台船間を公試運転を上回る28.92ノットで駆け抜け大西洋横断最速記録を更新、イタリアに最初で最後となる大西洋横断客船最速記録・ブルーリボンをもたらしました。客船コンテ・ディ・サヴォアはレックスに遅れること3か月の11月に完成、公試運転ではレックスよりも速い29.95ノットの最高速度を記録、スペリー社製の巨大なジャイロスタビライザーを積んだ揺れない船として大きな期待を背負っての就役でしたが、ひとつ175トンものジャイロ(巨大な独楽)を船内に3つも積んでいた所為か否か、とうとうレックスの速度記録を上回ることはありませんでした。
複雑な事情をうかがわせながらもパトローネの大胆なデザインが秀逸なアールデコポスター代表作に列せられている快作です。本作は比較的珍しい仏語版ですが、伊語版、独語版、英語版も制作され、英仏海峡発着の北大西洋航路客船のターゲットが自国移民と米国人に限定されたのに比べ、地中海経由の北大西洋航路客船がリゾートクルーズ的要素を好まれて極めて幅広い客層を得ていたものと理解できます
・ 雑感
前述のとおりながら、第二次大戦の終結を受けてもなお、トリエステ問題は残されていました。英米とロシアの対立がトリエステの帰属問題に圧し掛かってしまったためです。結局は港湾部にイタリア系の住民が圧倒的に多かったことによりトリエステはイタリア共和国に帰属することとなりますが、これとは別に今もって根強いイタリア王党派の勢力が存するのはご存知の通りです (T.O.)
【Maritime Gallery Ocean-Note】
● ジクレーアートプリント・客船 LL/Poster Ocean Liner INDEX
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納入事例
客船ポスター四方海話
船と港のエッセイ 1
船と港のエッセイ 2
【Maritime Gallery Ocean-Note】