● 1965年 キュナード・クイーンズ雑誌広告レプリカ 額入りジクレーアート
≪Heading for Europe? Go Cunard, Come and go on the giant Cunard Queens. 5 relaxing days each way on the biggest resorts afloat≫
額縁・マットの色をプルダウンにてお選びください
送料無料。お届けはご注文後約7日です。価格にはアートプリントとマット・額縁、全て含まれます
作者名 :anonymous
製作年 :1965
額縁・マット : 木製カマボコ型=12mm、t=1.5mmx2枚ダブルマット、前面1.8mm厚UVカットアクリル(クラレ・コモグラス)
額縁とマット色をお選びいただけます
・黒艶消し額縁 X ブラウン/ライトベージュ・ダブルマット
・白ツヤ額縁 X ネイビー/ライトブルー・ダブルマット
額縁サイズ : 410mm x 525mm
作品サイズ : 272mm x 407mm (内側マット抜きサイズ、表側オーバーマット抜きは282 x 417mm)
当商品は伊勢和紙に顔料インクを用いたアートプリントを国産材料で額装したものです。奥行きを持たせる濃淡色二重のダブルマット仕様です。伊勢和紙は伊勢神宮の奉書紙として漉かれ全国の神宮大麻に使用されています。インクジェットに意欲的で、伊勢和紙アート紙は新たな表現材料として世界中のアーティストに使用されています。マーメード紙程度の表面テクスチャーによる風合いが楽しめ、無酸性紙に顔料の組合せはリトグラフやシルクスクリーンに比べ格段の保存性を持ち、数十年単位の鑑賞に耐えます。画像データに傷や劣化の補修、彩度などの可塑修正を施し、テストプリントを繰り返し微調整して仕上げています
● 1965年 キュナード・クイーンズ雑誌広告
1965年、キュナードラインの米国向け、連作風6種類の雑誌1ページ全面広告のうち、本広告は最も史料性が高いものです。この年の広告では「クイーンズでの欧州行きを選ぶべき理由」を疑問文で問いかけていますが、中には合弁で運営していたBOAC-CUNARDを引き合いに「急ぐ方はBOACキュナードのVC-10か、ロールス・ロイスエンジンを積んだ707もどうぞ」といった目新しい内容もあるものの、キャンペーン全体では誰もが理解する凡庸な内容に終始した感があります。その中にあって、本作のみはクイーンメリーとクイーンエリザベスの両方の写真を使ったプレゼンテーションが魅力的です。2種類のバージョンがあり、最初のものはキャッチコピーと写真が4セクション組み、変更されたものは写真は変わらず2枚2セクションでキャッチコピーを3セクションに分けて合計5セクション組みになっています。この変更により、キャッチコピーが上から米本土・欧州・米本土と陸地を表し、船の写真は大西洋上というロジックが成功しています。そして、この広告の史料性はクイーンズの写真の下の小さなキャプションにあります。上のクイーンメリーは船名とトン数に続き「ニューヨークを毎週水曜日に出帆」、下のクイーンエリザベスは、同じく船名とトン数に続き「欧州を毎週木曜に出帆」と記されており、ひとつに2隻で米欧両大陸側を毎週出帆ということ、いまひとつはニューヨークを水曜出帆は良く知られますが、欧州側は木曜出帆だったということは余り知られておらず、そのことが冊子のセーリングスケジュールを除けば、グラフィック史料で見られるものは他に思いつきません。どの船会社も成し得なかった高速客船による大西洋航路の2隻体制毎週出帆をビジュアライズしている後世に伝わるべき名作史料です。尚、1965年広告のうち他の5種にはバージョン違いも見られず、内容の完成度の高さからも本広告は最も早く打たれたものと思われます。
第一次二次の両大戦は航空機の発達をもたらしました。1945年のロッキード・コンステレーション以降、ダグラスDC-6、ボーイング377が相次いで大西洋横断の空路に就航、しかし船会社は手荷物を制限されて座席の狭い旅客機が、少なくとも大西洋航路の乗客を奪うことは無く、旅客機は客船の役割を補完して共存するものと考えていました。1946年10月にクイーンエリザベスが「客船」としての就役を果たしてキュナードが大西洋横断航路を再開、翌1947年7月にクイーンメリーが復帰、キュナード・クイーンズ・・・エリザベスとメリーの揃い踏みがなって、ついに悲願の二隻での週航を果たします。以後1952年頃までは莫大な収益を計上、クイーンズのツーリストクラスへの乗船は一年待ちだったと伝わります。ところがジェット爆撃機・B-47のノウハウが注ぎ込まれて誕生したボーイング707が1958年に就航、乗客189名で速度1000km/hの707は従来のプロペラ機のはぼ倍の能力を持ち、大西洋横断空路を現在と大差ない10時間前後で飛ぶことができました。それまで徐々に支持を広げていた旅客機の人気は707で一気に火がつくと共存の思惑は外れ、1958年には大西洋横断の客船・旅客機の乗客数が逆転、1960年になるとオフシーズン近くではクイーンズの乗客がたったの50名という航海も珍しくなかったといいます。1961年にはクイーンズの営業収支は赤字に転落、もうクイーンズに満席の乗客が戻ることがないのは誰の目にも明らかでした。1966年にはクイーンメリーも船齢30年、キュナードは大きな転換を迫られます。しかし、後継のQ3計画は(三隻目のクイーンの意)、クイーンズを軽量化して機関燃費も向上させるのみの75000トンの新船計画で、発注と政府補助金申請まで話は進むも需要変化への対応に乏しいと株主拒否によって1961年10月に中止、仕切り直しのQ4計画は船をパナマックス規模に抑えて実質2クラスのクルーズ兼用客船となり建造が開始されます。Q4計画は1968年のクリスマスシーズン就役を目指しますが資金繰りはどんどん悪化、ついに1967年5月8日、Q4(QE2・クイーンエリザベス2)の就役を待たずに1967年10月でのクイーンメリーの航海打ち切りを発表、あわせてクイーンエリザベスはQE2就役を見届けて1968年一杯での航海打ち切りと発表されます。(結果的にQE2は1968年11月に公試でタービン破損、翌1969年1月には機関故障で二度の船主受領拒否、処女航海も一旦キャンセルの憂き目を経て1969年5月の就役になり、「交代」の演出はなりませんでした)
・ 雑感
1965年のシーズン終了を待ってクイーンエリザベスが可能な範囲でクルーズ客船への改装を受けることになります。今、振り返って1960年代のキュナードの広告をじっくり眺めると、あくまで「定期航路」をやっているのだという自負心ばかりが垣間見えます。1980年代に撮影されたQE2の航海士やパーサーのインタビューを見たことがありますが、その時代にあってもまだ「クルーズなんて・・・」といった主旨の発言が聞かれました。隔世の感ありで、現在は大時代的なキュナードの「大西洋横断航海クルーズ」は数多あるプランの中でもドル箱商品になりました。1960年代にはマーケット側も船会社側も、まだそのことに気付いていませんでした (T.O.)
【Maritime Gallery Ocean-Note】
● ジクレーアートプリント・客船 LL/Poster Ocean Liner INDEX
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納入事例
客船ポスター四方海話
船と港のエッセイ 1
船と港のエッセイ 2
【Maritime Gallery Ocean-Note】