● 1930年 P&O 客船ストラスネイバー就役予告・雑誌広告レプリカ 額入りジクレーアート
≪P&O TRAVELLING OVERSEAS≫
額縁・マットの色をプルダウンにてお選びください
送料無料。お届けはご注文後約7日です。価格にはアートプリントとマット・額縁、全て含まれます
作者名 :anonymous
製作年 :1930
額縁・マット : 木製カマボコ型=12mm、t=1.5mmx2枚ダブルマット、前面1.8mm厚UVカットアクリル(クラレ・コモグラス)
額縁とマット色をお選びいただけます
・黒艶消し額縁 X ブラウン/ライトベージュ・ダブルマット
・白ツヤ額縁 X ネイビー/ライトブルー・ダブルマット
額縁サイズ : 410mm x 525mm
作品サイズ : 272mm x 407mm (内側マット抜きサイズ、表側オーバーマット抜きは282 x 417mm)
当商品は伊勢和紙に顔料インクを用いたアートプリントを国産材料で額装したものです。奥行きを持たせる濃淡色二重のダブルマット仕様です。伊勢和紙は伊勢神宮の奉書紙として漉かれ全国の神宮大麻に使用されています。インクジェットに意欲的で、伊勢和紙アート紙は新たな表現材料として世界中のアーティストに使用されています。マーメード紙程度の表面テクスチャーによる風合いが楽しめ、無酸性紙に顔料の組合せはリトグラフやシルクスクリーンに比べ格段の保存性を持ち、数十年単位の鑑賞に耐えます。画像データに傷や劣化の補修、彩度などの可塑修正を施し、テストプリントを繰り返し微調整して仕上げています
● 1930年 P&O 客船ストラスネイバー就役予告・雑誌広告
1931年から1937年まで、P&Oは船名に「Strath」で始まるスコットランド地名(ストラス=スコットランドの意)を与えた客船を5隻就役させました。建造は英海軍艦船を数多く手がける名門ヴィッカース造船所、全長200mで22000トン、航海速度22ノットの5隻はロンドン・ティンバリーとブリスベン間の英豪定期航路に就きます。一週間航程の北大西洋航路と違いスエズ経由豪州航路は航程4週間、週一回出航の定期運航維持には速度22ノットで5隻が必要でした。ちなみに、船腹を減らし航程を三週間に縮めるには(戦後、オリアナが実現)30ノット近い速力を要し、これでは採算割れになります。第二次大戦で4番船のストラスアランを喪失しますが、残った4隻は客船キャンベラが就役するまで英豪間定期航路で活躍しました。
戦前全般に渡って、P&Oの広告宣伝は集客の必要に迫られた営業的色合いを強く感じさせるものではありませんでした。本作雑誌広告がP&O戦前最大の客船、ストラス級の就役に掛けて打たれた広告であることは明白ながら、その船名さえも記されていません。P&O収益の大半は英政府からの郵便輸送請負によるもので、営業努力よりは着実な航路維持に何よりの注力が注がれ、広告宣伝はどちらかといえば広報的意図の方が強かったようです。そのような前提で1930年に打たれた本作雑誌広告を見れば、コピー本文の淡白さも合点が行きます。質実剛健なP&Oの日常に流行は縁遠かったようですが、意外にも本作デザインはアールデコテーストあふれる仕上がりになっています。天球をデフォルメして半円状に描かれた幻想的な夜空にエジプトのピラミッドやインドのタージマハルなどP&Oの寄港地名所が描かれています。水線上に浮かぶ船は、この広告の翌年2月から豪州航路に就役するストラス級一番船の客船ストラスネイバーです。水色で描かれる海面に写る船のシルエットとファンネルから上る排煙のデフォルメはアールデコスタイルの香りあふれるものです。客船ストラスネイバーや豪州航路に関するトピックは本文記述にも無く、本広告の目的さえもどことなく不明確ですが、一方で本作の実に洗練された美しさは、P&Oのプレゼンス示威のアナウンス効果を充分に得られるものだったでしょう。
歴史上、英国は最も広大な版図を領有した帝国で、最大だった1918年には全世界面積の22%に及ぶ版図を支配しました。この大英帝国を支えたのは国王の権威でも軍事力でもなく、帝国の血管とも言える商船隊航路でした。(ちなみに、当時全世界の英国領土間の郵便料金はすべて国内扱いでした) その航路維持に最も重要な役割を果たした船社こそがP&Oで、正式社名はペニンシュラ・アンド・オリエンタル・スチーム・ナビゲーション・カンパニー、ペニンシュラはイベリア半島を指し、1822年にロンドンとスペイン・ポルトガル間の帆船船主たちの提携船社として発足しました。1835年にはアイルランドの船主が合流し帆船を蒸気船に変更、ペニンシュラ・スチーム・ナビゲーション・カンパニーに社名を定め、1837年には大英帝国政府と英国・イベリア半島間の郵便輸送契約を締結しました。現在も使用されるP&Oのトレードマーク・社旗はポルトガルの青と白、スペインの黄と赤を表しています。1840年には郵便輸送契約航路がアレクサンドリアまで延伸され、社名に「&O=オリエント」部分が加えられP&Oの社名が完成、1914年にはBIライン(ブリティッシュ・インディア・スチーム・ナビゲーション・カンパニー)を傘下に組み入れ航路をインドまで延伸、1918年にはオリエントラインの資本過半数を得て航路はスエズ経由で豪州、南米西海岸にまで至ります。P&O最盛は1920年頃、保有船腹は500隻を超えていました。華やかな北大西洋の速度競争には目を奪われますが、地中海から東は専らP&Oの仕事、P&Oこそ大英帝国の屋台骨だったと言っても過言ではありません
・ 雑感
戦前のP&Oは、ポスターや雑誌広告などの宣伝に大衆の耳目を集めた北大西洋航路の華々しい宣伝合戦のようには力を尽くすことがありませんでした。ひとつは郵便輸送などの国策航路維持に広告宣伝が無用だったこと、また航路の性質上、貨客船の色合いが強く広告宣伝が馴染まなかったという事情などがあったものと推察されます。広告宣伝を派手に打ったところで、郵便輸送契約に変化をきたすことも、貨物が増えることも考えにくかったからです。また、日本的に言えば、豪州航路もある種の命令航路で競合も無く、まだ豪州旅行の時代ではなく移民の数も限定的だったため、やはり宣伝活動の必要性は大きくは見いだせなかったのでしょう。それでも本作ではわずかながら快適で理想的な船旅といったアピール・・・ストラス級の客船は所用目的でない「旅行」を謳った、P&Oの足跡からすれば営業的アプローチ有用な最初の「客船」だったのかもしれません。現にP&Oは、後の1937年になると時代の真っただ中に飛び込んだようなストラス級客船を取り上げたモダンなデザインのポスターをリリースすることになります (T.O.)
【Maritime Gallery Ocean-Note】
● ジクレーアートプリント・客船 LL/Poster Ocean Liner INDEX
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納入事例
客船ポスター四方海話
船と港のエッセイ 1
船と港のエッセイ 2
【Maritime Gallery Ocean-Note】