● 1950年 客船リベルテ・就役見開き雑誌広告レプリカ 額入りジクレーアート
≪ARRIVING AUGUST 23 LIBERTE, French Line, The Libertion Paris 1945 Painted by Andre Girard≫
額縁・マットの色をプルダウンにてお選びください
送料無料。お届けはご注文後約7日です。価格にはアートプリントとマット・額縁、全て含まれます
作者名 :Andre Girard
製作年 :1950
額縁・マット : 木製カマボコ型=12mm、t=1.5mmx2枚ダブルマット、前面1.8mm厚UVカットアクリル(クラレ・コモグラス)
額縁とマット色をお選びいただけます
・黒艶消し額縁 X ブラウン/ライトベージュ・ダブルマット
・白ツヤ額縁 X ネイビー/ライトブルー・ダブルマット
額縁サイズ : 525mm x 410mm
作品サイズ : 407mm x 272mm (内側マット抜きサイズ、表側オーバーマット抜きは417 x 282mm)
当商品は伊勢和紙に顔料インクを用いたアートプリントを国産材料で額装したものです。奥行きを持たせる濃淡色二重のダブルマット仕様です。伊勢和紙は伊勢神宮の奉書紙として漉かれ全国の神宮大麻に使用されています。インクジェットに意欲的で、伊勢和紙アート紙は新たな表現材料として世界中のアーティストに使用されています。マーメード紙程度の表面テクスチャーによる風合いが楽しめ、無酸性紙に顔料の組合せはリトグラフやシルクスクリーンに比べ格段の保存性を持ち、数十年単位の鑑賞に耐えます。画像データに傷や劣化の補修、彩度などの可塑修正を施し、テストプリントを繰り返し微調整して仕上げています
● 1950年 客船リベルテ・就役見開き雑誌広告
客船ノルマンディーを失ったフレンチラインの戦後の復活、新しい旗艦、客船リベルテの就役を伝える1950年の見開き雑誌広告です。この見開き広告のフォーマット、最初に見参したのは1935年の客船ノルマンディーの就役予告でしたが、フレンチラインが気に入ったものか、はたまた評判が良かったものか、あるいは伝説の名船にあやかる意味があったものか、フレンチライン旗艦就役の雑誌広告の定型になり、1949年にイル・ド・フランス、1950年に本広告リベルテ、そして1962年にはフランスの各船で、まるで連作のように打たれました。描かれているのは、船名の「リベルテ」にちなんだ1945年のパリ開放の図、右下には「an. girard」のサインとキャプションにも作者名、1901年生まれのフランス人画家アンドレ・ジラールです。ジラールは画業とともに第二次大戦中のレジスタンス活動で知られ、当然戦勝国フランスとしてそういった来歴の画家をわざと起用したことが読み取れます。ジラールは前年、客船イル・ド・フランスの広告でも筆をふるいました。左側の船の絵は、カッサンドルの描いた有名な客船ノルマンディーのイラストのトリビュート、船首部分のデティールがリベルテに書き替えられています。リベルテの「処女航海」、ニューヨークへの初めての到着は1950年8月23と案内が記され、右側本文の末部に記されるセーリングスケジュールでは、復航のニューヨーク出帆が25日となっています。また本文文中の初入港に触れる部分でわざわざ「flying the Tricolor」 -フランス国旗を掲げて- と強調するように書かれており、誰もが客船オイローパだったことを知っているという前提でアンサーを予め記しているといことになりましょうか・・・あのドイツの客船をフレンチラインが運航することについて、フランス国民の間では微妙な感情が拭えなかったといわれ、そういった雰囲気を察する配慮が本広告全体に漂っているように見合えます。
1945年5月、ドイツが降伏して欧州における第二次大戦が終結、進駐した米軍はブレマーハーフェンで奇跡的に無事だった北ドイツロイドの客船オイローパを発見します。発見されたオイローパは米軍に接収され9月、4300名の帰還兵士を乗せて6年ぶりの航海でニューヨークへ向かいますが、北ドイツロイドのクルーたちが苦労した6年間の維持の努力も空しく、ボイラー周りの水漏れや蒸気タービンの不調、船体のクラック・水漏れが酷く、たった2回の航海を行っただけでニューヨークへ係船されてしましました。1947年2月に戦時賠償委員会に引き渡されたオイローパはブルックリンのドライドックで処分を待ちますが、その獲得に最も熱心だったフランスに引き渡されます。以下推測ながら・・・米軍は1942年、ドイツに降伏したフランスから敵性資産として接収していた客船ノルマンディーを炎上・転覆させてしまっており1946年9月には解体、フランスが降伏したといっても亡命政府が共和国を維持していたことを思えばノルマンディーは言わば預かりもの、それを沈めてしまったのでフランスにオイローパを譲らざるを得なかったのではないでしょうか?加えて・・・米国はこの時までにブリーリボン客船を輩出していません。大戦を通じて高速輸送船の有用性を身をもって経験した米軍は、本当はかつでのブルーリボン船オイローパを手に入れて高速輸送客船隊整備の緒端としたかったのではないかと考えられます。最初からフランスに引き渡すのであればドライドックに入れる必要はなく、事実、引き渡し先のフランスの為のメンテナンスは手つかずで航海もままならない程だったといいます。とまれ、フランスに引き渡されたオイローパは3年もの期間と、1900万ドルの巨費を投じて修理と改装が行われ、フランスの客船リベルテに生まれ変わります。船名にはロレーヌが候補になりましたが時代を反映するリベルテ(自由)に決定、船内の調度はニューヨークに保管されていたノルマンディーのものが使用されました。1949年には、フランスで唯一無事だった大型客船のイル・ド・フランスが復帰、大西洋航路の運賃水準でキュナード・クイーンズに次ぐ地位を得ており、リベルテを加えてフレンチラインの大西洋航路の再整備が整い、この体制がこの先10年渡り維持されます
・ 雑感
船体の強度や機関の維持、この客船にまつわる感情の機微、そういった様々な心配は全くの杞憂に終わり、一番の上客である米国人乗船客は争ってリベルテに乗船しました。大人気を博したと伝わります。むしろ、そういった「いわく」は営業成績上の足しにこそなれネガティブ要素にはなりませんでした (T.O.)
【Maritime Gallery Ocean-Note】
● ジクレーアートプリント・客船 LL/Poster Ocean Liner INDEX
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納入事例
客船ポスター四方海話
船と港のエッセイ 1
船と港のエッセイ 2
【Maritime Gallery Ocean-Note】