● 1950年 エドゥアール・コラン 客船リベルテのポスター 精密レプリカ額入りジクレーアート
≪CIE GLE TRANATLANTIQUE, LIBERTE, LE HAVRE - SOUTHAMPTON - NEW YORK≫
額縁・マットの色をプルダウンにてお選びください
送料無料。お届けはご注文後約7日です。価格にはアートプリントとマット・額縁、全て含まれます
作者名 :Edouard Collin
製作年 :1950
額縁・マット : 木製カマボコ型=12mm、t=1.5mmx2枚ダブルマット、前面1.8mm厚UVカットアクリル(クラレ・コモグラス)
額縁とマット色をお選びいただけます
・黒艶消し額縁 X ブラウン/ライトベージュ・ダブルマット
・白ツヤ額縁 X ネイビー/ライトブルー・ダブルマット
額縁サイズ : 410mm x 525mm
作品サイズ : 272mm x 407mm (内側マット抜きサイズ、表側オーバーマット抜きは282 x 417mm)
当商品は伊勢和紙に顔料インクを用いたアートプリントを国産材料で額装したものです。奥行きを持たせる濃淡色二重のダブルマット仕様です。伊勢和紙は伊勢神宮の奉書紙として漉かれ全国の神宮大麻に使用されています。インクジェットに意欲的で、伊勢和紙アート紙は新たな表現材料として世界中のアーティストに使用されています。マーメード紙程度の表面テクスチャーによる風合いが楽しめ、無酸性紙に顔料の組合せはリトグラフやシルクスクリーンに比べ格段の保存性を持ち、数十年単位の鑑賞に耐えます。画像データに傷や劣化の補修、彩度などの可塑修正を施し、テストプリントを繰り返し微調整して仕上げています
● 1950年 エドゥアール・コラン 客船リベルテのポスター
正統派の水彩風景画家にして、戦後にフレンチラインポスターを多数描いたエドワード・レオポルト・コランによる客船リベルテ、再就役にあたって使用されたポスターです。戦前フレンチラインのポスターを描いたアールデコの錚々たるデザイナーたちの多くは、奇しくも同姓のポール・コランを除き、皆それぞれ何らかの理由があったものか筆を置いてしまっていました。1906年生まれのエドワード・コランが戦前には殆ど描くことのなかった商業ポスターをフレンチラインのために描いたことによって目立って名を残したことにはちょっとした綾のようなものを感じさせます。本作はエドワード・コランの代表作となります。
1945年5月にドイツが降伏して欧州における第二次大戦が終結、進駐した米軍はブレマーハーフェンで奇跡的に無事だった北ドイツロイドの客船、かつて大西洋横断最速記録客船・ブルーリボン客船の座についたこともあるオイローパを発見します。発見されたオイローパは米軍に接収されUSSオイローパとなり米兵の帰還に使用されました。9月、4300名の帰還兵士を乗せて6年ぶりに航海に復帰したオイローパはニューヨークへ向かいますが、北ドイツロイドのクルーたちが苦労して守った6年間の努力も空しく、ボイラー周りの水漏れや蒸気タービンの不調、船体各所のクラックと水漏れが酷く、たった2回の航海を行っただけでニューヨークへ係船されてしましました。1947年2月、米軍から戦時賠償委員会に引き渡されたオイローパは、ブルックリンのドライドックに入渠して処分が検討されますが、その獲得に熱心だったフランスに引き渡されます。以下推測ながら・・・米軍は1942年、ドイツに降伏したフランスから敵性資産として没収していた客船ノルマンディーを炎上・転覆させてしまっており、1946年9月には解体されていました。フランスが降伏したといっても亡命政府が共和国を維持していたことを思えば、ノルマンディーはいわば預かりものです。それを沈めてしまったので、米国は獲得に名乗りを挙げたフランスにオイローパを譲らざるを得なかったのではないでしょうか?加えて・・・米国はこの時までにブリーリボン客船を輩出していません。第二次大戦を通じて高速輸送船の有用性を身をもって経験した米軍は、本当はオイローパを手に入れて高速輸送客船隊の整備の緒端としたかったのではないかと考えられます。最初からフランスに引き渡すのであればドライドックに入れる必要はなく、事実、引き渡し先のフランスの為のメンテナンスは手つかずで航海もままならない程だったといいます。
とまれ、フランスに引き渡されたオイローパは3年のもの期間と、1900万ドルの巨費を投じて修理と改装が行われ、フランスの客船リベルテに生まれ変わります。船名にはロレーヌが候補になりましたが時代を反映するリベルテに決定、船内の調度はニューヨークに保管されていたノルマンディーのものが使用されました。あのノルマンディを作ったフランスの技術力は高く、速度こそ往時には届きませんでしたが、安定性や調度の良さには目を見張るものがあったと伝わります。フランス人にとっては元敵国船であったことによる微妙な感情もあったようですが、今や唯一の戦勝国となり豊かさを謳歌していた米国人観光客にとって、本物のフランス料理と欧州式の洗練されたサービスを供するフランスの客船リベルテは垂涎の的であり、絶大な人気を誇りました。すでに1946年10月には、フランスで唯一無事だった大型客船のイル・ド・フランスが復帰してフレンチラインのニューヨーク急航航路は大西洋航路の運賃水準でキュナード・クイーンズに次ぐ地位を得ており、リベルテが加わったことでCGTフレンチラインの大西洋航路の再整備が整い、この体制がこの先10年渡り維持されます
・ 雑感
かつて客船ノルマンディを要して名声を欲しいままにしたフランス人のプライドは、1962年に就役する客船フランスによって初めて満たされたといわれます。リベルテはフランスの就役と交代する形で退役、1962年にスクラップされました。しかし、オイローパとリベルテが同じ船とは思えないほどリベルテの出来は良く、ある種の高い評価を勝ち取ったこともまた事実でした (T.O.)
【Maritime Gallery Ocean-Note】
● ジクレーアートプリント・客船 LL/Poster Ocean Liner INDEX
※ポスター画像をクリックしていただくと詳細ページへ移動します
納入事例
客船ポスター四方海話
船と港のエッセイ 1
船と港のエッセイ 2
【Maritime Gallery Ocean-Note】