● 1929年 フレンチラインのポスター 精密レプリカ額入りジクレーアート
≪French Line, WEEKLY EXPRESS SERVICE, THE ILE DE FRANCE, THE FRANCE, THE PARIS≫
額縁・マットの色をプルダウンにてお選びください
送料無料。お届けはご注文後約7日です。価格にはアートプリントとマット・額縁、全て含まれます
作者名 :L?o Fontan
製作年 :1929
額縁・マット : 木製カマボコ型=12mm、t=1.5mmx2枚ダブルマット、前面1.8mm厚UVカットアクリル(クラレ・コモグラス)
額縁とマット色をお選びいただけます
・黒艶消し額縁 X ブラウン/ライトベージュ・ダブルマット
・白ツヤ額縁 X ネイビー/ライトブルー・ダブルマット
額縁サイズ : 410mm x 525mm
作品サイズ : 272mm x 407mm (内側マット抜きサイズ、表側オーバーマット抜きは282 x 417mm)
当商品は伊勢和紙に顔料インクを用いたアートプリントを国産材料で額装したものです。奥行きを持たせる濃淡色二重のダブルマット仕様です。伊勢和紙は伊勢神宮の奉書紙として漉かれ全国の神宮大麻に使用されています。インクジェットに意欲的で、伊勢和紙アート紙は新たな表現材料として世界中のアーティストに使用されています。マーメード紙程度の表面テクスチャーによる風合いが楽しめ、無酸性紙に顔料の組合せはリトグラフやシルクスクリーンに比べ格段の保存性を持ち、数十年単位の鑑賞に耐えます。画像データに傷や劣化の補修、彩度などの可塑修正を施し、テストプリントを繰り返し微調整して仕上げています
● 1929年 フレンチラインのポスター
本作は、伝説の名船ノルマンディーを擁して客船黄金時代の象徴的一翼を担ったフレンチラインのエッセンスを垣間見ることができるレオ・フォンタンによって描かれたポスターです。1905年にピエール・ラフィット社が「英国のシャーロック・ホームズに対抗できる推理小説を」とモーリス・ルブランに依頼したことにより執筆された「怪盗紳士アルセーヌ・ルパン」初版が発行されたのは1905年ですが、この表紙のイラストはフォンタンによって描かれました。小説中には全く記されていない「シルクハットに片メガネのルパン」はフォンタンによって想像されて描かれたものです。ラフィット社のルパンが出生作となり戦前は書籍や雑誌、新聞など出版物イラストの大御所となって活躍、アールヌーボーやアールデコといった時代の潮流とは距離を置き、一言で言えば図鑑の挿絵のような精緻でありながら特徴を強調した万人に好まれる作風を持ち、可愛らしい女性のイラストは特に1925年前後のアールデコ時代到来以前にはファッション誌には欠かせないものとなっていました。生涯通じて商業ポスターとは縁遠く、本作は唯一とも言えるフォンタンの商業ポスター作品です。
第一次大戦前夜、すでに多くの海外領土を持ちながら英独の海の覇権争いとは無縁だったフランスにも帝国主義の波は押し寄せ、「せめて郵便輸送は自国船で賄うべし」の世論に動かされた仏政府の郵便自国船輸送政策によって、フレンチラインは北大西洋航路覇権争いの檜舞台に名乗りを上げることになります。1910年頃には、すでに北大西洋航路の大型客船は5万トン近くに達していましたが、フレンチラインでは僅か12000トンの客船プロヴァンスとサヴォワを持つのみでした。フレンチライン社長、ジュール・シャルル・ルーが英独の競争に割って入る野心をもって建造したのが24000トン、最高速度25ノットの(初代)客船フランスでした。英独船に大きさで劣る分、豪華な内装とフランス流エスプリの効いたサービス、供されるフランス料理には磨きがかけられ上々の運用成績をあげます。客船フランスの成功と仏政府の自国船輸送政策の思惑一致が時を得て、仏政府はフレンチラインに対して船隊整備を命ずるに至り、1916年から5年ごとに一隻、1931年までに新たに四隻の客船を就役させる計画を課します。その第一船として就役したのが客船パリでした。後発のフレンチラインの航路運営方針は英独にないもので、英独の三等大量運搬主義と真逆の一等優遇主義でした。これは、文化の中心たるフランス流の洗練されたサービスで観光客を獲得する着想で、後に米国の移民法改正で三等船客が激減してからは、各国客船が逆にフレンチラインの営業方針を後追いすることになります。客船パリの極上のフランス料理と洗練されたサービスは狙い通り観光客の人気を呼び、客船パリへの乗船は米国人のあこがれとなりました。フレンチラインの新船計画は第一次大戦によって第一船のパリからして遅れを余儀なくされましたが、第二船の客船イル・ド・フランスに世間は度肝を抜かれることになります。豪華客船の象徴的な船内空間といえば数フロアぶち抜きの巨大アトリウム(ラウンジ)ですが、1927年就役のフレンチラインの客船イル・ド・フランスこそがこの巨大空間(4フロア分)のルーツでした。フレンチラインの一等優遇方針に則りイル・ド・フランスでは二等三等より一等乗客の定員の方が多く「ギャングウェイを渡ればそこはフランス」のキャッチコピーに乗って米国人観光客の心を鷲掴みにしました。1935年のノルマンディー就航で旗艦の座を譲りましたが、ノルマンディー亡き後の戦後の大西洋航路で1959年までフランス客船の主役を務めあげ退役、その後日本へ回航され、大阪湾でハリウッド映画の撮影に使用された後に解体されました。史上最高の客船がノルマンディーならば、アールデコ時代の到来とともに登場したイル・ド・フランスは史上最も優雅な客船であったと称されます。フランス客船の栄光の第一歩を標した客船フランスは、第一次大戦中は病院船として活躍、戦後復帰して1933年、ノルマンディーの就役に目途が立ったことを見届け退役しました。本作には、フレンチラインニューヨーク直行急航線に配された、客船フランス、パリ、イル・ド・フランスの三船の船名が大きく記されており、フランス近代史の一コマたる記憶に残る一枚です
・ 雑感
1935年に伝説の名船ノルマンディーが就役したことにより、それ以前の客船史が色褪せた感は否めません。しかしながら、きちんと時のページをめくって見るならば、フレンチラインの最も充実していた時代はイル・ド・フランスの就役から世界恐慌までの約2年間だったと言えるかもしれません。本作は、最も充実した時代のフレンチラインを見ることができる希少な史料でもあります (T.O.)
【Maritime Gallery Ocean-Note】
● ジクレーアートプリント・客船 LL/Poster Ocean Liner INDEX
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納入事例
客船ポスター四方海話
船と港のエッセイ 1
船と港のエッセイ 2
【Maritime Gallery Ocean-Note】