● 1952年 USL 客船ユナイテッドステーツのポスター 精密レプリカ額入りジクレーアート
≪EUROPE TO AMERICA, by UNITED STATES LINES≫
額縁・マットの色をプルダウンにてお選びください
送料無料。お届けはご注文後約7日です。価格にはアートプリントとマット・額縁、全て含まれます
作者名 :J. S. Smith
製作年 :1333
額縁・マット : 木製カマボコ型=12mm、t=1.5mmx2枚ダブルマット、前面1.8mm厚UVカットアクリル(クラレ・コモグラス)
額縁とマット色をお選びいただけます
・黒艶消し額縁 X ブラウン/ライトベージュ・ダブルマット
・白ツヤ額縁 X ネイビー/ライトブルー・ダブルマット
額縁サイズ : 410mm x 525mm
作品サイズ : 272mm x 407mm (内側マット抜きサイズ、表側オーバーマット抜きは282 x 417mm)
当商品は伊勢和紙に顔料インクを用いたアートプリントを国産材料で額装したものです。奥行きを持たせる濃淡色二重のダブルマット仕様です。伊勢和紙は伊勢神宮の奉書紙として漉かれ全国の神宮大麻に使用されています。インクジェットに意欲的で、伊勢和紙アート紙は新たな表現材料として世界中のアーティストに使用されています。マーメード紙程度の表面テクスチャーによる風合いが楽しめ、無酸性紙に顔料の組合せはリトグラフやシルクスクリーンに比べ格段の保存性を持ち、数十年単位の鑑賞に耐えます。画像データに傷や劣化の補修、彩度などの可塑修正を施し、テストプリントを繰り返し微調整して仕上げています
● 1952年 USL 客船ユナイテッドステーツのポスター
北大西洋航路の目的地側であったアメリカに、この特別な航路で繰り広げられた競争への参加に明確な動機を見出しようもなかった筈ですが、二度の大戦を経て世界第一の超大国となったアメリカの大衆にとって、自国ルーツでもある檜舞台に自国船の目立った活躍を見ることができないことは長年のアギューでもありました。すでにアメリカの大きな期待感を背負って就役に臨む客船ユナイテッドステーツには、純粋な航海の成就とは別に営業上の失敗も許されない雰囲気に包まれていたと見え、USL・ユナイテッドステーツラインはかなり手厚い宣伝・広報活動を展開しました。就役前後にユナイテッドステーツのために制作されたポスターは、地域や言語、色のバリエーションも含めると正確にどれだけの種類のポスターがあったのかも今となってはわかりません。大雑把には欧州各国制作と米国制作のものに分けられますが、本作は米国で制作されたもので背景の色やコピー違いで何種類かのバリエーションがあったようです。右下に入れられたサインによれば作者はJ.S.Smithとされますが、船舶や鉄道にまつわる水彩風景画を描いた画家だったということ以外の来歴は不明です。画角上を左上から右下へユナイテッドステーツを俯瞰する図柄の青背景のポスターがありますが、そちらは作者サインが入らず作者不明ながら筆致が本作と似通ってもおり、ひょとすると同じJ.S.Smithの手になるものかもしれません。かなり正確かつ詳細に客船ユナイテッドステーツを描いている画風には、目新しいモダンデザインの要素はありませんが好感が持てます。米国制作のユナイテッドステーツのポスターは米国モダンデザインの第一人者だったレスター・ビールによるものもありましたが、どちらかと言えばアメリカ人からはモダンなビールよりも保守的なポスターの方が好まれたようです。
あのチャーチルをして「クイーンズのお陰で戦争が一年早く終わった」と回想録に言わしめた大戦中の客船クイーンメリーとクイーンエリザベスの活躍でしたが、米国が支払った傭船料は実に1億ドル、これはクイーンズどちらか一隻を造って余りある金額であり、有事の大型高速客船の必要性を痛感した米国は客船ユナイテッドステーツを建造することになります。客船ユナイテッドステーツの設計上の巡航速度は35ノット、機関は戦艦ミズーリ型と同等の高温高圧ボイラーに蒸気タービンを用いました。設計者ウィリアム・ギブスによる軽量化・不燃化は徹底したもので、スタンウェイ社はアルミ製ピアノの製作を要求され不燃塗装で了承を得たという逸話もあるほどです。7000万ドルもの建造費の6割は米海軍が負担し”高速輸送船”として建造された”客船”ユナイテッドステーツは、公試運転で38.34ノット、営業航海で大西洋横断東航35.59ノット、西航34.51ノットの不滅の速度記録を打ち立て、ブルーリボン(大西洋横断最速記録客船の称号)を獲得、これはこれまで海運・客船で後塵を拝してきた戦勝国アメリカのプライドを満足させるものでした。クイーンメリーの6割の船体重量に出力5割増しの機関を積み30ノット近い速度で大西洋を行き来しながら、ほとんど振動に悩まされることがなかったといわれ、就航から1958年頃までは消席率が9割を割ることがなく、乗客数もキュナードのクイーンズに勝っていました。しかし、航空機が急激に乗客を奪ったことや度重なる港湾ストが起きて1960年代に入ると収益が悪化、米国政府も兵員輸送を船から航空機に方針変更、運航補助金の停止が決定しました。状況打破のために客船ユナイテッドステーツはクルーズ航海を実施、結果的に数度の航海に終わったものの、1969年冬季には太平洋一周クルーズも計画され、これが実現すれば日本に寄港する場面を見ることができたかもしれません。運航停止後は係留されたままとなり、船齢60年を超えた現在もニュージャージーの埠頭に放置されています。1990年代から保存運動の活動が起き、時には米国大統領がコメントを寄せることもありました
・ 雑感
ポスターと一言でいいながらも、当然使用すべき場所があったことが制作の前提となった筈です。感覚的にいささか疑問を持つのは、客船ユナイテッドスーツのために1952年当時としても相当の種類のポスターが制作されのは良いとしても、一体それをどのように使い分けて、そもそもそれだけ使用すべき場所はどこだったのかということです。まさか日本の選挙ポスターよろしく、街中の壁という壁にお願いをして貼って歩いたとは考えにくいからです。いずれにせよ、そのような素朴な疑問を持つほどのUSLの力の入れようでした (T.O.)
【Maritime Gallery Ocean-Note】
● ジクレーアートプリント・客船 LL/Poster Ocean Liner INDEX
※ポスター画像をクリックしていただくと詳細ページへ移動します
納入事例
客船ポスター四方海話
船と港のエッセイ 1
船と港のエッセイ 2
【Maritime Gallery Ocean-Note】