● 1928年 客船リバイアサンのポスター 精密レプリカ額入りジクレーアート
≪TO EUROPE, LEVIATHAN - WORLD'S LARGEST SHIP, UNITED STATES LINES≫
額縁・マットの色をプルダウンにてお選びください
送料無料。お届けはご注文後約7日です。価格にはアートプリントとマット・額縁、全て含まれます
作者名 :August Pike Dorland
製作年 :1928
額縁・マット : 木製カマボコ型=12mm、t=1.5mmx2枚ダブルマット、前面1.8mm厚UVカットアクリル(クラレ・コモグラス)
額縁とマット色をお選びいただけます
・黒艶消し額縁 X ブラウン/ライトベージュ・ダブルマット
・白ツヤ額縁 X ネイビー/ライトブルー・ダブルマット
額縁サイズ : 410mm x 525mm
作品サイズ : 272mm x 407mm (内側マット抜きサイズ、表側オーバーマット抜きは282 x 417mm)
当商品は伊勢和紙に顔料インクを用いたアートプリントを国産材料で額装したものです。奥行きを持たせる濃淡色二重のダブルマット仕様です。伊勢和紙は伊勢神宮の奉書紙として漉かれ全国の神宮大麻に使用されています。インクジェットに意欲的で、伊勢和紙アート紙は新たな表現材料として世界中のアーティストに使用されています。マーメード紙程度の表面テクスチャーによる風合いが楽しめ、無酸性紙に顔料の組合せはリトグラフやシルクスクリーンに比べ格段の保存性を持ち、数十年単位の鑑賞に耐えます。画像データに傷や劣化の補修、彩度などの可塑修正を施し、テストプリントを繰り返し微調整して仕上げています
● 1928年 客船リバイアサンのポスター
R.S.パイク・ドーランドによる客船リバイアサンのポスターです。ドーランドは本名が“August Pike Dorland”、この時期、ドーランドはユナイテッドステーツラインのポスターを4枚描いています。女性乗船客を描いたもの以外の3枚は、いずれもリバイアサンのクローズアップで、上部やや後部からの俯瞰、水線上から見上げた本作品、ブリッジの高さから見降ろしたものでした。このポスターは、もともと1925年頃に描かれたものでしたが、詳しい経緯は不明ながら、ドーランドのサインが消され、やや細かい線を省略して描き直されたもので、1928年頃に製作されたポスターです。1925年の初版から全体のレイアウトも変更され、暗い周縁はクリーム色、文字はゴシック様の鮮やかな青、下部中央にはユナイテッドステーツラインの当時のロゴマークが入れられています。当時、世界最大の客船だったリバイアサンはまるで巨大なビルを見上げるようなものでしたが、そのことが良く表現されています。
HAPAG・ハンブルクアメリカラインとNDL・北ドイツロイドラインは、共にドイツのフラッグキャリアーたる船会社同士ながら社風は趣を異にしていました。急進的なNDLに対しHAPAGには協調路線の気風があり、中興の祖であるアルベルト・バリーンが経営トップに就くと、それがますます顕著になります。20世紀到来前後、NDLは皇帝ウィルヘルム二世の意を汲み、英客船に対抗し得る4本ファンネルの高速客船を建造します。これが評判を呼んでNDLの営業成績は急上昇、HAPAG役員会は猛烈にNDLの高速客船に倣うべきとの方針変換をバリーンに迫ります。バリーンはしぶしぶ同意して4本ファンネルの客船ドチェラントを建造、見事にブルーリボン(大西洋横断最速記録の称号)を獲得しますが、振動と乗り味の悪さに幻滅すると姉妹船を建造することなく高速客船の方向性を放棄、この反省から「適度な速度で大きく安全」な船の建造へと舵を切ります。こうしてホワイトスターの三姉妹巨船、オリンピック級へのアンサーとして建造されたのが、インペラトール、ファーターラント、ビスマルク、「バリーンの平和の三巨船」でした。軍艦、客船を問わず激しさを増していた英独の建艦競争に対するバリーンの平和的回答でしたが、願いも空しく第一次大戦開戦は不可避の情勢、これに絶望したバリーンは謎の孤独死を迎えました。大戦後、ドイツの戦時賠償でバリーンの三巨船は連合国側に引き渡されることになります。一番船のインペレーターはルシタニアを失ったキュナードに、三番船のビスマルクはブリタニックを失ったホワイトスターに引き渡され、それぞれベランガリア、マジェスティックとして再就役することになります。.
第一次大戦前のアメリカは未だ新興国家であり、北大西洋航路の覇権争いには無縁でした。USL・ユナイテッドステーツラインズは、19世紀末に英国のインマンラインを買収したもので、英仏独の客船が華々しく北大西洋航路の主役の座を争っている時、USLには対抗できる客船がありませんでした。第一次大戦後、アメリカが戦時賠償でドイツから得たのがバリーンの三巨船の二番船、ファーターラント、後のリバイアサンです。ファーターラントをリバイアサンに改装する時の逸話が今日に伝わっています。賠償で得たリバイアサンには船内にあるべき図面がありませんでした。賠償引き渡しを好しとしなかったクルーが破棄したためでした。改装を請け負ったウィリアム・ギブスがドイツの造船所に図面を請求したところ、誇り高いドイツ人は「100万ドルでお譲りする」との返事を返しました。図面が無ければ改装どころか、米国の運航許可も下りなければ保険にも入れません。怒りに震えたギブスは、100人からの技師を引き連れて自ら船を実測、2年掛かりで図面を起こしリバイアサンを改装しました。この経験が5万トン級客船の造船ノウハウをギブスに与え、30年後に史上最速の客船ユナイテッド・ステーツの設計・建造となって結実します。アメリカで改装・整備された客船リバイアサンは1923年に再就役、念の入ったメンテナンスにより最高速力はドイツ時代より2ノットも上がり何と27ノットを越えました。禁酒法が船上に及んでおり巨船を満たす乗客の獲得は容易ではありませんでしたが、1927年には一航海2700名もの乗客を記録します
・ 雑感
ギブスの頭脳的プレーは実に念の入ったもので、リバイアサンへの改装を経て総トン数はほぼ60000トンに達しました。これによってリバイアサンはキュナードのベランガリア、ホワイトスターのマジェスティックよりも大きく、世界一大きな客船であることを堂々と謳うことができました。その効果が営業成績にどれだけ寄与したものかは不明ながら、米政府の意を十分に汲んだものだったと思われます。このポスターが使用された後に世界恐慌が発生、以後USLはリバイアサンを持て余すことになり、営業収支が黒字になることはなかったといわれます。本船が世界一大きな船として名を残したことはUSL、米国の両者とギブスにとって僥倖だったといえるかもしれません (T.O.)
【Maritime Gallery Ocean-Note】
● ジクレーアートプリント・客船 LL/Poster Ocean Liner INDEX
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納入事例
客船ポスター四方海話
船と港のエッセイ 1
船と港のエッセイ 2
【Maritime Gallery Ocean-Note】