● 1917年 桐・伏見丸 日本郵船のポスター 精密レプリカ額入りジクレーアート
≪NIPPON YUSEN KAISYA. JAPAN MAIL STEAMSHIP Co.≫
額縁・マットの色をプルダウンにてお選びください
送料無料。お届けはご注文後約7日です。価格にはアートプリントとマット・額縁、全て含まれます
作者名 :anonymous
製作年 :1917
額縁・マット : 木製カマボコ型=12mm、t=1.5mmx2枚ダブルマット、前面1.8mm厚UVカットアクリル(クラレ・コモグラス)
額縁とマット色をお選びいただけます
・黒艶消し額縁 X ブラウン/ライトベージュ・ダブルマット
・白ツヤ額縁 X ネイビー/ライトブルー・ダブルマット
額縁サイズ : 410mm x 525mm
作品サイズ : 272mm x 407mm (内側マット抜きサイズ、表側オーバーマット抜きは282 x 417mm)
当商品は伊勢和紙に顔料インクを用いたアートプリントを国産材料で額装したものです。奥行きを持たせる濃淡色二重のダブルマット仕様です。伊勢和紙は伊勢神宮の奉書紙として漉かれ全国の神宮大麻に使用されています。インクジェットに意欲的で、伊勢和紙アート紙は新たな表現材料として世界中のアーティストに使用されています。マーメード紙程度の表面テクスチャーによる風合いが楽しめ、無酸性紙に顔料の組合せはリトグラフやシルクスクリーンに比べ格段の保存性を持ち、数十年単位の鑑賞に耐えます。画像データに傷や劣化の補修、彩度などの可塑修正を施し、テストプリントを繰り返し微調整して仕上げています
● 1917年 桐・伏見丸 日本郵船のポスター
● 1923年 箱根丸 日本郵船のポスター
日本郵船が英国船以外で唯一、欧州極東往航同盟に加盟して獲得したロンドン港への入港と積荷(下ろし)の特権は国家的な大成果でした。海上の航路は鉄道とは違い目には見えませんが、定期船運航の航路権はいわば専用の高速道路のようなものでした。1896年に5500トンの土佐丸で始まった日本郵船の欧州線は日露戦争を経て1908年には8500トン級の賀茂丸級6隻、、1913年に10000トン香取丸級の香取丸と鹿島丸、翌1914年には11000トンの諏訪丸級、諏訪丸、八坂丸、伏見丸へとスケールアップされることになります。
1918年(大正7年)のカレンダーが入れられた日本郵船のポスターです。英語版と日本語版のうち英語版です。三越のポスターの大成功により、ポスターを欧州並みの広告メディアにした築地の三間印刷所製、オリジナルはリトグラフです。現存数は多くはないものの、同時代前後の日本郵船のポスターの中では海外でも現存が確認されており、相当数が配布されたものと想像されます。作者は杉山壽栄男、東京芸大在籍の記録は残るものの詳しい経歴が不明なことから、三間印刷の所属であった可能性が考えられます。当時、まだデザイナーという職種は確立されておらず、三間印刷で三越の美人画ポスターを描いた波々伯部金洲(ははかべきんしゅう)も画工という立場でした。杉山も画工であったのではないかと想像されます。桐にデフォルメされた波と伏見丸が描かれたわかりやすい構図ですが、一世紀後に現存のポスターとしては色落ちが少なく、三間印刷所のリトグラフの質の高さを証明しています
・ 雑感
石版多色刷りリトグラフのポスターが初めて日本で印刷されたのは1903年(明治36年)といわれています。1905年頃からは三越呉服店をはじめとして、日本画と浮世絵を源流とする日本独特の美人画ポスターが多数制作され一世を風靡しました。日本郵船、大阪商船、東洋汽船もこぞって美人画ポスターを制作しました。当時の船会社は海外との接点そのものであり、美人画ポスターをいち早く脱していったのも船会社でした。日本でリトグラフ印刷が制作されて以来、丁度この時期に欧米流のモダンなポスターデザインを船会社が率先して吸収していたものと想像されます (T.O.)
【Maritime Gallery Ocean-Note】
● ジクレーアートプリント・客船 LL/Poster Ocean Liner INDEX
※ポスター画像をクリックしていただくと詳細ページへ移動します
納入事例
客船ポスター四方海話
船と港のエッセイ 1
船と港のエッセイ 2
【Maritime Gallery Ocean-Note】