● 1952年 BIライン 客船ウガンダのポスター 精密レプリカ額入りジクレーアート
≪CONNECTING SERVICES, B.I. STEAM NAVIGATION CO., LTD.≫
額縁・マットの色をプルダウンにてお選びください
送料無料。お届けはご注文後約7日です。価格にはアートプリントとマット・額縁、全て含まれます
作者名 :anonymous
製作年 :1952
額縁・マット : 木製カマボコ型=12mm、t=1.5mmx2枚ダブルマット、前面1.8mm厚UVカットアクリル(クラレ・コモグラス)
額縁とマット色をお選びいただけます
・黒艶消し額縁 X ブラウン/ライトベージュ・ダブルマット
・白ツヤ額縁 X ネイビー/ライトブルー・ダブルマット
額縁サイズ : 410mm x 525mm
作品サイズ : 272mm x 407mm (内側マット抜きサイズ、表側オーバーマット抜きは282 x 417mm)
当商品は伊勢和紙に顔料インクを用いたアートプリントを国産材料で額装したものです。奥行きを持たせる濃淡色二重のダブルマット仕様です。伊勢和紙は伊勢神宮の奉書紙として漉かれ全国の神宮大麻に使用されています。インクジェットに意欲的で、伊勢和紙アート紙は新たな表現材料として世界中のアーティストに使用されています。マーメード紙程度の表面テクスチャーによる風合いが楽しめ、無酸性紙に顔料の組合せはリトグラフやシルクスクリーンに比べ格段の保存性を持ち、数十年単位の鑑賞に耐えます。画像データに傷や劣化の補修、彩度などの可塑修正を施し、テストプリントを繰り返し微調整して仕上げています
● 1952年 BIライン 客船ウガンダのポスター
かつての唯一の超大国、大英帝国の国力の源泉のひとつはインドの植民地支配でした。大航海時代以降、航路の維持はいずれの帝国にとっても生命線であり、スペイン・フランス連合軍を破ってパクスブリタニカ時代を迎えた大英帝国では、やがて蒸気船の時代となってからは、P&O、オリエントラインと並び、BIライン(ブリティッシュ・インディアライン)がその役割を担いました。BIラインの出自は貿易商でしたが、1856年に英国政府と締結した郵便輸送契約によって海運会社として事業は伸長、最盛期には社有船500隻超、運航委託線150隻超を持つに至りました。ただし、貿易を含むインドとの交易・運輸は商取引としては大変に複雑なものだったといわれ、この事業維持の困難さから1914年にはP&O、オリエントライン、BIラインの三社はP&Oの主導で資本提携、戦後になって完全に事業統合しました。戦前には、BIラインの航路は極東まで伸びており、日本へも寄港して居た筈ですが、前記のような事情からか、日本ではP&Oほどには知名度がありません。(航路権益の関係で、日本への寄港はP&O名義の共同運航であったかもしれません)
1972年には完全にP&Oに経営統合されて社名が消滅するBIラインの数少ない戦後の1万トン超大型客船のうちの一隻が客船ウガンダでした。第二次大戦後にインドは独立し、インド航路の航数も激減、インド航路は専らP&Oとオリエントラインが担当し、BIラインは社名のインドからは手を引いて東アフリカ航路をメインに担いました。1952年に就役した客船ウガンダは14500トン、かつてのインド航路船の名残を強く残し、パッセンジャークラスよりもファーストクラスの方が多いキャビン構成になっていました。フォークランド紛争にも徴船されたことが英国人の心に残った客船でした。
1952年の就役時に制作されたポスターです
・ 雑感
英国のインド航路船のことを紐解くと、往年の英国のインド支配の模様が垣間見えます。古い英国文学には、しばしばインドへ渡った商人や企業が登場します。英国に限らず、西欧人による植民地支配には興味深い一面もあり、西欧諸国の通貨の価値は植民地ではとてつもなく大きなものだったことが判ります。例えば、産業革命後の英国の恵まれなかった賃金をもってしても、植民地に渡ってしまえば一門の金持ち並みだったという事実、逆にタダ同然の植民地労働賃金で得た莫大な利益は、一等船客として帰国するには十二分だったという事実・・・英・印間航路の客船の一等船室は、これもまた現代の我々に想像し難い豪奢さをもっていたと言われます。ただし、客船ウガンダの時代ではすでに、そこまで極端なものではなかったと思われます (T.O.)
【Maritime Gallery Ocean-Note】
● ジクレーアートプリント・客船 LL/Poster Ocean Liner INDEX
※ポスター画像をクリックしていただくと詳細ページへ移動します
納入事例
客船ポスター四方海話
船と港のエッセイ 1
船と港のエッセイ 2
【Maritime Gallery Ocean-Note】