● 1927年 ALEXANDRIE MMフランス郵船のポスター 精密レプリカ額入りジクレーアート
≪MARSEILLE-ALEXANDRIE, LA ROUTE D' EGYPTE, MASSAGERIES MARITIMES≫
額縁・マットの色をプルダウンにてお選びください
送料無料。お届けはご注文後約7日です。価格にはアートプリントとマット・額縁、全て含まれます
作者名 :anonymous
製作年 :1927
額縁・マット : 木製カマボコ型=12mm、t=1.5mmx2枚ダブルマット、前面1.8mm厚UVカットアクリル(クラレ・コモグラス)
額縁とマット色をお選びいただけます
・黒艶消し額縁 X ブラウン/ライトベージュ・ダブルマット
・白ツヤ額縁 X ネイビー/ライトブルー・ダブルマット
額縁サイズ : 410mm x 525mm
作品サイズ : 272mm x 407mm (内側マット抜きサイズ、表側オーバーマット抜きは282 x 417mm)
当商品は伊勢和紙に顔料インクを用いたアートプリントを国産材料で額装したものです。奥行きを持たせる濃淡色二重のダブルマット仕様です。伊勢和紙は伊勢神宮の奉書紙として漉かれ全国の神宮大麻に使用されています。インクジェットに意欲的で、伊勢和紙アート紙は新たな表現材料として世界中のアーティストに使用されています。マーメード紙程度の表面テクスチャーによる風合いが楽しめ、無酸性紙に顔料の組合せはリトグラフやシルクスクリーンに比べ格段の保存性を持ち、数十年単位の鑑賞に耐えます。画像データに傷や劣化の補修、彩度などの可塑修正を施し、テストプリントを繰り返し微調整して仕上げています
● 1927年 ALEXANDRIE MMフランス郵船のポスター
17世紀以降、エジプトは英仏の東行き航路の要衝として英仏帝国主義の利害対立の焦点の一つとなりました。仏人外交官レセップスによって1869年にスエズ運河が開通、しかし、これによりエジプトの財政は破綻し、英国はこれに乗じてスエズ運河の資本支配に成功しました。レセップスの99年間のスエズ運河開通後の経営権は反故にされ1822年からスエズ運河への英軍駐留がなされるも、事の経緯とスエズ運河の重要性に鑑み、スエズ運河の自由航行に関する条約が結ばれました。実質的に大英帝国支配下にあったエジプトながら、インドシナ、サイゴンに極東の帝国拠点を持つフランスにとっては、エジプトへの航路権は帝国政策的には失うことが許されないものでした。第一次大戦の終結によって一応は大英帝国からのエジプトの独立が果たされた形にはなったものの、フランスの六大鉄道会社の一角を占めたPLMがアレクサンドリアまでの航路を、このポスターのみからは読み取れないものの、恐らくは共同運航の自社路線のような見えがかりで運営していることには幾らかの政治的な意図も感じられなくはありません。
もっとも・・・このポスター自体は、そのような政治的意図とは無縁のもので、ナポレオン遠征以降から続くエジプト観光ブームをいざなう目的が主だったように感じられます。下部にはPLM鉄道(パリ・リヨン・地中海鉄道)の社名、つまり、ワゴン・リの豪華列車にてマルセイユに行き、アレクサンドリアまで仏MM郵船の海路といった内容は、ビジネスでも移民でもなく、もっぱらエジプト観光が盛んだったことを伝えてくれます。デザイナーは不明ながら古代エジプトの壁画を真似た絵は秀逸です
・ 雑感
エジプトは、1822年以降は保護国として大英帝国の実質支配下に置かれました。1919年、第一次大戦後の支配関係再構築に乗じ、エジプト国民が大規模な市民運動を展開し1922年、エジプトは独立を獲得しました(エジプト革命)。長い間、オスマントルコや大英帝国の支配を受けたものの、エジプトはフランスとのつながりが深く、スエズ運河の共同掘削やシャンポリオンのヒエログリフ解読、そもそも19世紀に創設されたエジプト考古局の初代長官も仏人・・・文化的、人的なつながりはむしろ地中海を挟んだフランスと近しかったように考えられます (T.O.)
【Maritime Gallery Ocean-Note】
● ジクレーアートプリント・客船 LL/Poster Ocean Liner INDEX
※ポスター画像をクリックしていただくと詳細ページへ移動します
納入事例
客船ポスター四方海話
船と港のエッセイ 1
船と港のエッセイ 2
【Maritime Gallery Ocean-Note】