● 1989年 日本郵船のポスター 精密レプリカ額入りジクレーアート
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額縁・マットの色をプルダウンにてお選びください
送料無料。お届けはご注文後約7日です。価格にはアートプリントとマット・額縁、全て含まれます
作者名 :anonymous
製作年 :1989
額縁・マット : 木製カマボコ型=12mm、t=1.5mmx2枚ダブルマット、前面1.8mm厚UVカットアクリル(クラレ・コモグラス)
額縁とマット色をお選びいただけます
・黒艶消し額縁 X ブラウン/ライトベージュ・ダブルマット
・白ツヤ額縁 X ネイビー/ライトブルー・ダブルマット
額縁サイズ : 410mm x 525mm
作品サイズ : 272mm x 407mm (内側マット抜きサイズ、表側オーバーマット抜きは282 x 417mm)
当商品は伊勢和紙に顔料インクを用いたアートプリントを国産材料で額装したものです。奥行きを持たせる濃淡色二重のダブルマット仕様です。伊勢和紙は伊勢神宮の奉書紙として漉かれ全国の神宮大麻に使用されています。インクジェットに意欲的で、伊勢和紙アート紙は新たな表現材料として世界中のアーティストに使用されています。マーメード紙程度の表面テクスチャーによる風合いが楽しめ、無酸性紙に顔料の組合せはリトグラフやシルクスクリーンに比べ格段の保存性を持ち、数十年単位の鑑賞に耐えます。画像データに傷や劣化の補修、彩度などの可塑修正を施し、テストプリントを繰り返し微調整して仕上げています
● 1989年 日本郵船のポスター
日本郵船の客船事業再開に際して制作されたポスターです。
1984年、日本郵船第14代目の社長に就いた宮岡公夫氏が日本郵船に入社したのは昭和23年、その動機は戦時中に東大生であった宮岡氏が海軍予備学生となり駆逐艦に乗り込んでいた際、舞鶴で日本郵船の氷川丸から燃料補給を受け、この時に見た氷川丸の優美さと氷川丸船上で受けた接待(スマートなサービスで、戦時としては破格な食事を供された)が忘れられなかったためでした。敗戦後、宮岡氏の憧れた氷川丸は生き残ったものの外航は禁止、やっと再開されたシアトル航路でしたが、当時の日本の国力では新船投入もできず、日本郵船は氷川丸をはじめ貨物船によって細々と継続していた客船サービス(貨物船では12名以下の乗客を乗せることができ、日本郵船ではここで客船運航のノウハウを伝承していました)を1960年の氷川丸退役を機に全廃、客船事業から完全撤退しました。1964年の東京オリンピックに向けて大型高速客船2隻の建造計画があったものの、伊勢湾台風の復興のために新船建造に投入予定であった補助金が白紙となり、日本郵船は最終的に客船事業撤退を決断したと言われます。
兼ねてより、船会社の使命として客船がなくてはならないという持論と信念を持っていた宮岡新社長は、社内全役員の反対を押し切って客船事業の復活を決めました。このために北米にクリスタルクルーズ、日本には郵船クルーズを設立、1989年に両社が運航する客船クリスタルハーモニー(後の飛鳥II)と飛鳥(初代)が三菱長崎造船所で起工されました。両船は1991年に竣工・就役、日本郵船の客船事業はここに再開されました。ポスターのデザイナーは不明、デザインは一見してわかるように、あのカッサンドルの客船ノルマンディーのポスターへのオマージュとなっています
・ 雑感
客船事業の収益の多寡だけを論ずれば、それは無理をして興す事業ではなかったかもしれません。しかし、宮岡氏の信念は一方では当然のもので、客船事業は海運業の「顔」になるものといえます。現に船キチ諸氏を除いた一般人が、世界一の海運会社であるマースクラインの名をどれだけ知っているでしょう。想像するに、宮岡氏の信念はひとつ日本郵船だけの顔ではなく、海運日本の顔たる事業の再興だったのではないかと思います (T.O.)
【Maritime Gallery Ocean-Note】
● ジクレーアートプリント・客船 LL/Poster Ocean Liner INDEX
※ポスター画像をクリックしていただくと詳細ページへ移動します
納入事例
客船ポスター四方海話
船と港のエッセイ 1
船と港のエッセイ 2
【Maritime Gallery Ocean-Note】