● 1882年 ギオンラインのポスター 精密レプリカ額入りジクレーアート
≪GUION LINE, ROYAL MAIL STEAMERS, TO NEW YORK≫
額縁・マットの色をプルダウンにてお選びください
送料無料。お届けはご注文後約7日です。価格にはアートプリントとマット・額縁、全て含まれます
作者名 :anonymous
製作年 :1882
額縁・マット : 木製カマボコ型=12mm、t=1.5mmx2枚ダブルマット、前面1.8mm厚UVカットアクリル(クラレ・コモグラス)
額縁とマット色をお選びいただけます
・黒艶消し額縁 X ブラウン/ライトベージュ・ダブルマット
・白ツヤ額縁 X ネイビー/ライトブルー・ダブルマット
額縁サイズ : 410mm x 525mm
作品サイズ : 272mm x 407mm (内側マット抜きサイズ、表側オーバーマット抜きは282 x 417mm)
当商品は伊勢和紙に顔料インクを用いたアートプリントを国産材料で額装したものです。奥行きを持たせる濃淡色二重のダブルマット仕様です。伊勢和紙は伊勢神宮の奉書紙として漉かれ全国の神宮大麻に使用されています。インクジェットに意欲的で、伊勢和紙アート紙は新たな表現材料として世界中のアーティストに使用されています。マーメード紙程度の表面テクスチャーによる風合いが楽しめ、無酸性紙に顔料の組合せはリトグラフやシルクスクリーンに比べ格段の保存性を持ち、数十年単位の鑑賞に耐えます。画像データに傷や劣化の補修、彩度などの可塑修正を施し、テストプリントを繰り返し微調整して仕上げています
● 1882年 ギオンラインのポスター
1840年にキュナードが蒸気船による郵便輸送を英国政府から請け負うと挑戦者たちが次々と現れます。アメリカからの挑戦者で存在感を放ったのはコリンズラインとギオンラインンでした。両者ともに、アメリカ人が持つ旧宗主国への微妙な対抗心に訴えて事業を興しました。クェーカー教徒の母親を持つサミュエル・キュナードは事業についても質素倹約を旨としていましたが、コリンズは金ピカ時代の先を行くように豪華で早い船を造ってキュナードを凌駕しました。コリンズの事業はアメリカの郵便輸送補助金に依存したものでしたが、数度の事故によって補助金が打ち切られると事業はあっけなく終焉を迎えました。この先訓に学んだものか、ギオンラインは英国への対抗心に燃える米国の資本を集め英国・リバプールに会社を興しました。米国の法律によれば、米国籍の海運会社は米国で船を建造せねばならず、スクリュー船の商船建造で英国が一歩先んじていたことから米国籍では不利、対して資本主義先進国の英国では外国資本であっても英国籍の会社は市民権を差別なく得ることができ、英国政府の郵便輸送を請け負うことが出来たからです。(ちなみにサミュエル・キュナードはカナダ人でしたが英国にキュナードラインを興しました)
ギオンラインは、アメリカの出資者を意識して船名にはアメリカの州の名前をつけました。1866年から1870年にかけて一気に9隻もの汽帆船を就役させ、1874年には米英間週2回の出帆という驚異的なスケジュールを実現させます。このまま事業を徐々に拡大させることに専念すれば良かったのかもしれませんが、事情は不明ながら(恐らく船価を下げる目的)、著名な造船家ウィリアム・ピアスが経営権を持つグラスゴーのフェアフィールド造船所がギオンラインの経営に参画したことで事態は変わります。造船家の夢を反映したものか、ギオンラインはブルーリボン(大西洋横断最速客船の称号)獲得船、客船アリゾナとアラスカを建造します。計算上、15ノットの高速をもって7日間台で大西洋を横断できれば、全船をニューヨーク直行に切り替えることで、3隻での週航が可能になるという計画でした。しかし、高速化で機関スペースが拡大したために乗客数を減らさざるを得ず、結局、15ノットの速度とブルーリボンのタイトル奪取、これと引き換えに船の乗り心地と会社の財務状況は悪化しました。しかし、この二隻のブルーリボン客船と、起死回生を図った客船オレゴンのブルーリボン獲得によって、名を残せなかった数多の挑戦者の中で名声を後世に残すことになったのは皮肉なことかもしれません。1894年、ギオンラインは航海を停止しました。
中央に客船アラスカが描かれた1882年頃のギオンラインのセーリングスケジュール告知用、フライヤー様のポスターです。イラスト上部にはギオンラインのブルーリボン客船、アラスカとアリゾナの船名が書かれています。下部、都度書き換えらるセーリングスケジュールの案内部分には客船アラスカとウィスコンシンのリバプール出帆日が書かれています。寄港をやめて全便ニューヨーク直行としたことで毎土曜日の出帆が成されていたことがわかります。また、「ニューヨーク行き」のポスターなので、英国内で使用されたものであり、移民乗船の集客が目的だったということになります。絵柄を主役にした今日的なイメージポスターが制作されたのは20世紀を迎える頃以降のことで、19世紀の客船ポスターは本作のような文字情報主体のフライヤー=チラシ様のものがほとんどでした。埠頭やターミナル、駅やチケット代理店で使用される消耗品だったので、紙質や印刷の質も悪く粗末なものでした。本作も文字部分の歪みが大きく、実質本位のフライヤーポスターです。オリジナルの文字部分の歪みが大きいため、鑑賞に堪える程度、最低限の修正を施してあります
・ 雑感
ブルーリボンの獲得によって歴史に名を刻んだギオンラインながら、当時の史料は驚くほど残されていません。タバコの販促物だったトレードカードが何種類か伝わっていますが、現在のところポスターに類するものは本作のみしか伝わっていません。しかし、当時の移民乗船客が何を見てチケットを買って船に乗ったものか・・・そのことがリアルに感じ取れる社会史、風俗史の面から興味深いものと思えます。ここには描かれていませんが、当時の三等運賃は5ギニーほど、現在の円価値にしておよそ30万円ほどでしょうか。埠頭に着くと・・・このようなフライヤーを見て、なけなしの身銭を切って人々は大西洋を渡ったのです (T.O.)
【Maritime Gallery Ocean-Note】
● ジクレーアートプリント・客船 LL/Poster Ocean Liner INDEX
※ポスター画像をクリックしていただくと詳細ページへ移動します
納入事例
客船ポスター四方海話
船と港のエッセイ 1
船と港のエッセイ 2
【Maritime Gallery Ocean-Note】