● 1899年 北ドイツロイドラインのポスター 精密レプリカ額入りジクレーアート
≪Kaiserlich-Deutsche Reichspostdampfer-Linie Ostasiatischer Dienst, Norddeutsche Lloyd Bremen≫
額縁・マットの色をプルダウンにてお選びください
送料無料。お届けはご注文後約7日です。価格にはアートプリントとマット・額縁、全て含まれます
作者名 :anonymous
製作年 :1899
額縁・マット : 木製カマボコ型=12mm、t=1.5mmx2枚ダブルマット、前面1.8mm厚UVカットアクリル(クラレ・コモグラス)
額縁とマット色をお選びいただけます
・黒艶消し額縁 X ブラウン/ライトベージュ・ダブルマット
・白ツヤ額縁 X ネイビー/ライトブルー・ダブルマット
額縁サイズ : 410mm x 525mm
作品サイズ : 272mm x 407mm (内側マット抜きサイズ、表側オーバーマット抜きは282 x 417mm)
当商品は伊勢和紙に顔料インクを用いたアートプリントを国産材料で額装したものです。奥行きを持たせる濃淡色二重のダブルマット仕様です。伊勢和紙は伊勢神宮の奉書紙として漉かれ全国の神宮大麻に使用されています。インクジェットに意欲的で、伊勢和紙アート紙は新たな表現材料として世界中のアーティストに使用されています。マーメード紙程度の表面テクスチャーによる風合いが楽しめ、無酸性紙に顔料の組合せはリトグラフやシルクスクリーンに比べ格段の保存性を持ち、数十年単位の鑑賞に耐えます。画像データに傷や劣化の補修、彩度などの可塑修正を施し、テストプリントを繰り返し微調整して仕上げています
● 1899年 北ドイツロイドラインのポスター
キュナードラインが英国政府との郵便輸送契約を締結して蒸気船による大西洋横断航路を開設したのは1840年、極東の地では同年から二年に渡り阿片戦争、ペリーが来航して日本が開国したのは1854年のことでした。開国当初の外国船の日本寄港は、欧州・インド・中国の貿易航路を支配していた英国船が半ば独占的な地位を占め、英国のP&Oが益々海運業界の巨人に成長してゆきます。フランスは1883年にフランス領インドシナの形成に成功し、やがて広州湾租借地の獲得へ向かい、MMフランス郵船の航路延伸はフランス植民地帝国と歩を同じく発展します。逆に日本は1893年にボンベイ航路を開設、欧州運賃同盟との激しい競合、これに続く協調を得て1896年には欧州航路の開設に成功しました。(1896年には米国航路、豪州航路も開設、世界の海運業界はちょっとしたNYKショックに見舞われたといわれます) さて、片やドイツは、こうした各国の極東航路の発展を黙って見ている訳にはゆきませんでした。日本開国時の安政五か国条約にドイツは名を連ねることが出来ず、遅れること2年の1860年にプロシアが修好通商条約を締結するものの、ドイツ統一は翌年の1871年のこと、実りをあげるには至りませんでした。1888年、ドイツ皇帝の座を祖父のウィルヘルム1世から継いだウィルヘルム2世が即位、以後ドイツは後れを取り戻すように「ドイツの将来は海にあり」の皇帝の掛け声のもと、積極的な植民地獲得に地道をあげ、中国では1895年に天津租借界に租借地を得て1897年にはドイツ人宣教師殺害事件を口実に出兵、1898年に青島の租借地を得ました。
日本では通称「青島」としてチンタオビールのブランドにもなっていますが、青島は正確には膠州湾租借地、水深のある天然の良港である膠州湾は軍艦の泊地としても最適でした。この青島獲得を受けて開設されたのが北ドイツロイドの極東航路です。無論、これ以前にも不定期船や共同運航での極東寄港はあったと考えられますが、通常、正式な定期航路無くしては本作のようなポスターが制作されることはありません。従って、本作はドイツの極東航路開設を示す貴重な史料でもあります。寄港地として日本の港は長崎、神戸、横浜の三港が記されています。尚、寄港地の記述の上部には切り張りの跡が見られます。この下にどういった文字があったのかは資料が無く不明です。オリジナルの現存は殆ど確認されていません。大変珍しいものを某博物館所蔵の現物史料から復元しました
・ 雑感
現代においても、新聞や報道では貿易収支が重要な経済指標のように報道されます。グローバル化が進んだ現代の経済の指標としては貿易収支よりも、その消費によってGDPに好影響を与えたか否かこそが問題であるにも関わらずです。つまり輸入超過であったとしても、消費または雇用の拡大につながる場合においては寧ろ超過を歓迎すべきであるというマクロ経済の基本の理解が進んでいません。しかし、重商主義の影響が色濃かった19世紀後半にあっては、まだ、国内の生産技術と合理化の発展によって得た余剰生産物を、海外の優良な植民地で消費させるという方法論が正論で、この行き着く果てが帝国主義そのものでした。世界最大の人口規模を持つ中国は魅力的だった筈で、列強はこぞって中国進出を果たそうと地道をあげます。英国もフランスもドイツも核心は中国にあり、その航路の最果てが日本でした (T.O.)
【Maritime Gallery Ocean-Note】
● ジクレーアートプリント・客船 LL/Poster Ocean Liner INDEX
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納入事例
客船ポスター四方海話
船と港のエッセイ 1
船と港のエッセイ 2
【Maritime Gallery Ocean-Note】