● 1932年 アレクシス・コウ パナール雑誌広告レプリカ 額入りジクレーアート
≪PANHARD, COMPLETANT LES GRADES LIGNES MARITIMES AERIENNES FERROVIAIRES PANHARD DESSERT LE RESEAUROUTIER≫
額縁・マットの色をプルダウンにてお選びください
送料無料。お届けはご注文後約7日です。価格にはアートプリントとマット・額縁、全て含まれます
作者名 :Alexis Kow
製作年 :1932
額縁・マット : 木製カマボコ型=12mm、t=1.5mmx2枚ダブルマット、前面1.8mm厚UVカットアクリル(クラレ・コモグラス)
額縁とマット色をお選びいただけます
・黒艶消し額縁 X ブラウン/ライトベージュ・ダブルマット
・白ツヤ額縁 X ネイビー/ライトブルー・ダブルマット
額縁サイズ : 410mm x 525mm
作品サイズ : 272mm x 407mm (内側マット抜きサイズ、表側オーバーマット抜きは282 x 417mm)
当商品は伊勢和紙に顔料インクを用いたアートプリントを国産材料で額装したものです。奥行きを持たせる濃淡色二重のダブルマット仕様です。伊勢和紙は伊勢神宮の奉書紙として漉かれ全国の神宮大麻に使用されています。インクジェットに意欲的で、伊勢和紙アート紙は新たな表現材料として世界中のアーティストに使用されています。マーメード紙程度の表面テクスチャーによる風合いが楽しめ、無酸性紙に顔料の組合せはリトグラフやシルクスクリーンに比べ格段の保存性を持ち、数十年単位の鑑賞に耐えます。画像データに傷や劣化の補修、彩度などの可塑修正を施し、テストプリントを繰り返し微調整して仕上げています
● 1932年 アレクシス・コウ パナール雑誌広告
詳しい自動車の歴史は専門家に譲りますが・・・ガソリンレシプロ自動車は1885年にダイムラーとベンツによって同時期別々に発明されたものが最初とされ、両社事業が合併してダイムラー・ベンツがあるのはご存知のとおりです。フランスは最も早く自動車レースを盛んに行った国で、1894年から1897年の各種エンジン混合のレースでは、パナール、プジョー、ルノーなどがガソリンレシプロ勢として出走、当時の蒸気機関や電気モーターとの規格争いに決着をつけたのはレースごとに操縦性を向上させていったガソリンレシプロ勢の圧倒的勝利でした。この優位はパナールが1891年に考案したフロントエンジンリアドライブ=FR方式によってもたらされたものでした。ちなみに1898年(明治31年)には、日本に初めての自動車が横浜に上陸しますが、この自動車はパナールでした。20世紀に入りフォードが大量生産体制を構築するのを横目にパナールは高級車路線を独歩、しかし静粛性に優れるものの高回転高出力が進むにつれて限界を呈していたスリーブバルブ方式へのこだわりと少量生産方針が災いして1955年にはシトロエン傘下に入り1967年にはパナールブランドの自動車生産を終了、現在はPanhard General Defenseとブランド名を一部にだけ残し軍用車両を生産しています。
技術的限界があったスリーブバブルではあったものの、パナールは1925年には4気筒4.8Lエンジンの290モデルで185m/hの耐久世界速度記録を樹立、1930年代までは高級車メーカーとして大きな存在感を誇りました。そして、1920年代から1930年代を通じ、そのパナールの存在感をより確かなものにしていたのが、アレクシス・コウによる一連の美しい広告でした。アレクシス・コウは1901年モスクワ生まれ、ロシア革命を避けて一家はスイスに移住、ジュネーブ芸術工科学校に学びました。パリに移ったのは1920年頃、最初は自動車の車両設計会社(イタリアで言うカロッツェリアが近い)で自動車設計の職を得たようです。1922年パナールへ移籍、詳しい経緯は不明ながら最初は車両設計に従事したものと想像され、やがてアートディレクションでその才能を大きく開花させることになります。絵画からグラフィックデザインに入った殆どのアールデコ期デザイナー達とは違い、車両設計という異色の出自をもつコウの描く自動車は正確で精緻、さらに独特の感性で巧みにアールデコの流儀を吸収、恐らく歴史上最も美しい自動車の宣伝グラフィックを創出するに至りました。パナールとの雇用や契約関係が正確に伝わる資料は見当たりませんが、ホチキスやブガッティなど、少数ながら同業他社の広告も手掛けたものの9割方以上の仕事はパナールのものでした。本作は1932年のパナール6DS型(x66)の雑誌広告です。復刻版の大判オフセットポスターも多数出回っていますが、大判ポスターは存在せず本作オリジナルは雑誌広告です。1932年には、まだ左に描かれる客船ノルマンディーは未完成、完成予想図は早くから公開されており、進水した1932年10月にはすでに他の専門雑誌の表紙などにもかなり正確に船容が描かれていました。ただし、ここに描かれたノルマンディーはハウス形状やブリッジのウィング、ファンネルの大きさなどにやや正確性を欠き、どちらかと言えば1932年当時のフレンチライン旗艦、客船イル・ド・フランスをノルマンディーとして描いたように感じられます。右に描かれるのはフランス国鉄の241A型機関車、国際特急の機関車として活躍しオリエントエクスプレスを曳いたことでも知られ、ここに描かれた1931年製造の241-001-ETATは後にSNCF 1-241.A65に車両番号を変更して現在も稼働可能な状態で保存されています。中央の飛行機はフランス・ファルマンF.60ゴリアト、第一次大戦中に爆撃機として開発が進みましたが終戦を迎えて旅客機へ計画変更され1925年に運用開始、パリ-ロンドン間で史上初の渡洋商業飛行に就き14名の乗客を乗せることができました。背景に大きく描かれたのがパナール6DSのグリル、この広告で訴えたのは、下部仏語コピーに見られる通り、交通の発達はそれぞれの分野で目覚ましいものの、それぞれの間をつなぐものこそが自動車であり、自動車によってこそ移動の利便性が保証されるという、大げさに言えばいささか社会性を持つメッセージでもありました
・ 雑感
パナール=Panhardは現在、ボルボ傘下のルノートラックスのさらに傘下にあって軍用車両を生産していますが、自動車業界の複雑な資本関係、提携関係の変化の波は収まる気配が見えず、ましてや改めて戦前のブランド遺産をこうして見れば、いつかパナールの自動車が復活するような気がしてなりません。というより、ブガッティの復活ではありませんが、それを見てみたいというのが本音かもしれません (T.O.)
【Maritime Gallery Ocean-Note】
● ジクレーアートプリント・客船 LL/Poster Ocean Liner INDEX
※ポスター画像をクリックしていただくと詳細ページへ移動します
納入事例
客船ポスター四方海話
船と港のエッセイ 1
船と港のエッセイ 2
【Maritime Gallery Ocean-Note】