● 1937年 ハパグ・北ドイツロイド雑誌広告レプリカ 額入りジクレーアート
≪WHO, crossing to Europe, would not desire tp give the perfect party≫
額縁・マットの色をプルダウンにてお選びください
送料無料。お届けはご注文後約7日です。価格にはアートプリントとマット・額縁、全て含まれます
作者名 :Alexey Brodovitch
製作年 :1937
額縁・マット : 木製カマボコ型=12mm、t=1.5mmx2枚ダブルマット、前面1.8mm厚UVカットアクリル(クラレ・コモグラス)
額縁とマット色をお選びいただけます
・黒艶消し額縁 X ブラウン/ライトベージュ・ダブルマット
・白ツヤ額縁 X ネイビー/ライトブルー・ダブルマット
額縁サイズ : 410mm x 525mm
作品サイズ : 272mm x 407mm (内側マット抜きサイズ、表側オーバーマット抜きは282 x 417mm)
当商品は伊勢和紙に顔料インクを用いたアートプリントを国産材料で額装したものです。奥行きを持たせる濃淡色二重のダブルマット仕様です。伊勢和紙は伊勢神宮の奉書紙として漉かれ全国の神宮大麻に使用されています。インクジェットに意欲的で、伊勢和紙アート紙は新たな表現材料として世界中のアーティストに使用されています。マーメード紙程度の表面テクスチャーによる風合いが楽しめ、無酸性紙に顔料の組合せはリトグラフやシルクスクリーンに比べ格段の保存性を持ち、数十年単位の鑑賞に耐えます。画像データに傷や劣化の補修、彩度などの可塑修正を施し、テストプリントを繰り返し微調整して仕上げています
● 1937年 ハパグ・北ドイツロイド雑誌広告
28.5ノット以上の巡航速度で大西洋を5日間で横断するスーパーライナーの運用は、5万トン・乗客数2000名超のキャパがそこそこ埋まれば、机上の計算では成り立ちます。しかし実際には、乗船待ちが出る程でないと採算確保は難しく、結局は様々な名目で支払われる事実上の政府補助金に依拠していました。NDL・北ドイツロイドが就役させた客船ブレーメンとオイローパは史上初のスーパーライナーとして1929年、1930年に就役します。評判の高速客船である2隻の消席率は上々で75%前後を記録、この間ドイツ客船の北大西洋航路でのシェアは15%も向上したとされています。しかしながら、いかに造船工学の粋を極めた両船をもってしても、採算はトントンがいいところであり、1929年からの恐慌の影響に加え、1933年のヒトラー政権誕生によってドイツ系以外の米国人乗船客に敬遠されがちになると採算は悪化しました。花形の北大西洋航路の維持は、国威高揚を謀るヒトラー政権にとって死守すべきものであり、同じく恐慌で経営悪化していたHAPAG・ハンブルクアメリカラインとともに北大西洋ハパグロイド共同体を国家資本で設立することとしました。共同企業体はNDLとHAPAGの両社から北大西洋航路客船を一活で傭船、但しこれは経理上の処理としてなされることで、実際の航路運航には変化がなく、共同企業体の存在自体、一般に知られることさえ少なかったといわれます。両船社は折に付け共同運航は行ってきましたが、1933年以降は北大西洋航路に限り両社連名の広告がプロパガンダ宜しく盛んに打たれました。
ハンブルクはライン川、ブレーメンはウェザー川を上った貿易都市で、距離は列車で1時間ほどの隣接する商都です。HAPAGとNDLは、両社とも貿易商の組合によって似通った経緯で設立された隣人のような船会社同士でありながら社風は趣を異にしていました。戦前に限れば、急進的で好戦的なNDLに対し、HAPAGには穏やかな協調路線の気風があり、対立こそありませんでしたが水と油でした。1933年に共同体が設立されて広告も連名で打たれますが、実際には両社が別々に制作した広告を連名にしたのみで、当時の大衆の受け取り方がいかようだったか想像できませんが、並べてみればHAPAGとNDLのどちらが制作した広告か一目瞭然、簡単に言えば、NDL制作のものはキャッチコピーが鮮烈でデザインは厳格・威厳を感じさせますが(バウハウス的と評されることも多い)、HAPAGのものは美しく優し気でキャッチコピーもなく、どことなくフランス的です。ハード路線とソフト路線ということでしょうか・・・本作は、HAPAG制作の広告です。
1920-30年代、「ATELIER A.B.」または「A.B.」のクレジットが入った客船にまつわるポスターや雑誌広告は永年作者が謎でしたが、近年の史料掘り下げでAlexey Brodovitch=アレクセイ・ブロードヴィッチの手になるものであることが判りました。ブロードヴィッチは1930年代からハーパーズバザーのアートディレクターとして活躍してバザー誌の経営を立て直したばかりでなく、今日まで続くハイファッション誌の基礎を作ったアートディレクター・デザイナーです。1898年ロシアに生まれ、第一次大戦によって美術学校進学を果たせずフランスに亡命、パリ在住のアーティストと交流との交流を通じてバウハウス、デ・ステイル、キュビズム、シュルレアリズムといった潮流を吸収、独学でデザインを学びます。1924年、パリのポスターコンクールで優勝、作品の「BalBanal」は二等だったピカソの作品とともにモンパルナスの壁に飾られ一流デザイナーの仲間入りをします。1928年、L'Atelier A.B.を設立、客船アキタニアを描いたキュナードのポスターは今も一般にはクレジット「A.B. 作者来歴不明」のままながら、アールデコ期の典型的客船ポスターとして良く知られます。(Tシャツなどにプリントされる人気の高い図柄です)1930年渡米、フィラデルフィアのUniversity of the Artsで教鞭をとり、1934年から1958年まではバザー誌アートディレクターとして活躍しました。バザー誌の紙面をコクトーやマン・レイ、カッサンドル等が飾ったのは、実はブロードヴィッチの人脈によるところでした。
1937年、HAPAGはブロードビッチに共同体の雑誌広告のデザインを依頼して三部作の広告を打ちました。ブロードビッチは1937年当時アメリカ在住でしたが、ナチス政権下の国営の共同体で、ロシア生まれフランス亡命を経て米国籍のブロードビッチへのデザイン依頼が可能だったことは意外な事実、興味深いところです。とまれ、ブロードビッチはワインボトルとメニューブック、欧州地図、四重奏楽団をそれぞれモチーフにした3種類の広告のイラストを描きました。共通するのはブルーと黒のツートーンカラーで、非常に洗練されたイラストは、バザー誌のアートディレクターを務めるブロードビッチの類まれなる知見を感じさせます。本作はワインボトルとメニューブックのバーションで、コピーには直行急行線のブレーメンとオイローパのサンデッキレストラン、準急行線のHAPAG Famous Four、ニューヨーク、ハンザ、ドイチェラント、ハンブルクのオーバーシーグリルで完璧な食事を楽しむことができるというありきたりなもの、どちらかといえば「絵」で心を掴む方に力点が置かれていたように感じられます。「A.B.」のクレジットは、ドイツの白ワインと思しき細長のボトルの袂に入れられています
・ 雑感
当時、全部が全部ではありませんが、このようにイラストのみではなく誌面全体をディレクションしている雑誌広告には、クレジットが入ることが多くはありませんでした。政治的な憂慮もあって、ブロードビッチのクレジットが入れられていたのは真に幸運で、あまり多くは伝わらなかったデザイナーとしてのブロードビッチの業績が残されたのは僥倖としか言いようがありません (T.O.)
【Maritime Gallery Ocean-Note】
● ジクレーアートプリント・客船 LL/Poster Ocean Liner INDEX
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納入事例
客船ポスター四方海話
船と港のエッセイ 1
船と港のエッセイ 2
【Maritime Gallery Ocean-Note】