● 1937年 キュナードホワイトスター見開き雑誌広告レプリカ 額入りジクレーアート
≪On Watch≫
額縁・マットの色をプルダウンにてお選びください
送料無料。お届けはご注文後約7日です。価格にはアートプリントとマット・額縁、全て含まれます
作者名 :anonymous
製作年 :1937
額縁・マット : 木製カマボコ型=12mm、t=1.5mmx2枚ダブルマット、前面1.8mm厚UVカットアクリル(クラレ・コモグラス)
額縁とマット色をお選びいただけます
・黒艶消し額縁 X ブラウン/ライトベージュ・ダブルマット
・白ツヤ額縁 X ネイビー/ライトブルー・ダブルマット
額縁サイズ : 525mm x 410mm
作品サイズ : 407mm x 272mm (内側マット抜きサイズ、表側オーバーマット抜きは417 x 282mm)
当商品は伊勢和紙に顔料インクを用いたアートプリントを国産材料で額装したものです。奥行きを持たせる濃淡色二重のダブルマット仕様です。伊勢和紙は伊勢神宮の奉書紙として漉かれ全国の神宮大麻に使用されています。インクジェットに意欲的で、伊勢和紙アート紙は新たな表現材料として世界中のアーティストに使用されています。マーメード紙程度の表面テクスチャーによる風合いが楽しめ、無酸性紙に顔料の組合せはリトグラフやシルクスクリーンに比べ格段の保存性を持ち、数十年単位の鑑賞に耐えます。画像データに傷や劣化の補修、彩度などの可塑修正を施し、テストプリントを繰り返し微調整して仕上げています
● 1937年 キュナードホワイトスター見開き雑誌広告
キャッチコピーは「On Whtch」、当直もしくはヨットでいうところのワッチ、見張りの意味です。写真の航海士は1937年の本広告当時、客船アキタニアの一等航海士だったジェセフ・ボックスホール航海士、あのタイタニックで四等航海士を務めていました。ボックスホール航海士は1884年イングランド北東の港町ハルの海員一家に生まれ、リバプールの船会社での4年間の乗船勤務を経て1907年にホワイトスターライン入社、併せてRNR(英海軍予備役)士官に任官、客船オセアニック、アラビックを経て1912年、タイタニックに四等航海士として乗船、あの沈没事故に遭遇することになります。タイタニックが氷山と衝突した時に彼は士官室におり、ブリッジに駆け付けるとスミス船長から船首周辺の損傷確認を命じられますが、ご存知のとおりタイタニックが受けた損傷は右舷水線下であり、船首に損傷はありませんでした。タイタニック停船をいつ誰が指示したか未だに不明ですが(あの映画ではスミス船長がすぐに停船させますが、衝突から10分ほど後の停船だったという証言もあります)、やがて浸水の酷さがブリッジに伝わってくると、救難信号を出さざるを得ない状況を判断したスミス船長は現在位置の計測を命じます。この命令を受けたのがボックスホール航海士で、彼は北緯41度46分・西経50度14分の位置を割り出してそれをメモにしてスミス船長に手渡します。やがてこの位置を知らせるCQD(call to quarters, distress 「全受信局へ, 遭難せり」の略、海難救助要請)が発せられました。海底に沈むタイタニックが発見されたのは1985年、位置は北緯41度43分55秒、西経49度56分45秒、CQDで伝えられた位置から約22km南東でしたが、ボックスホール航海士の割り出した停船位置のズレが致命的ミスであった訳ではなく、客船カルパチアのタイタニック救助への支障はありませんでした。ボックスホール航海士はその後、船上で救難信号弾の打ち上げや乗客の救命ボート乗り込み誘導などを行い、最終的に2号救命ボートへの乗り込みを命じられます。タイタニック沈没の時、2号救命ボートはタイタニックの沈没に巻き込まれないように離れた位置でその瞬間を迎えたといいます。沈没後に海に投げ出された乗客の救助に向かったのはロウ航海士の14号救命ボートのみ、ボックスホール航海士も救助へ向かうことを試みますが、乗客の反対によって断念せざるを得なかったと後に語りました。事故後、ボックスホール航海士は客船オリンピックの航海士、1934年にキュナードとホワイトスターが合併すると客船アキタニアの一等航海士を務めて1940年にリタイアします。1967年に死去しますが、遺言によって遺灰は彼自身が割り出したタイタニックの停船位置に散骨されました。
ボックスホール航海士の写真横には「アキタニアのブリッジでのボックスホール一等航海士とディバース三等航海士。船長と一等航海士の傍らには、六名の別の士官航海士がいる・・・・」といったキャプション、経歴などには触れられていません。また、右のコピー本文では、キュナードは1840年に僅か四隻の蒸気船で大西洋横断を開始して1850年以降は毎週出航のサービスを継続、現在では大西洋の航路上に常に何隻もの客船を走らせている。この80年間にキュナードラインの金獅子とホワートスターの社旗をマストから降ろさねばならないような嵐には会っていないし、夜間30分おきに見張り員は、古くからの「Light burning brigt, sir - all's well!」(直訳せれば「灯火は輝いてる、すべて順調」となりますが、「異常なし」の慣用句です)を発している・・・といった内容が記されています。本広告上にはタイタニックのタの字も見当たりません。戦時雷撃による沈没を除き史上最大の海難事故であったタイタニックの事故は、100年を越える過去を見る我々とは違って当時の大衆にとってはわずか四半世紀前の出来事、いかに米国向け米国人が見る広告であったとはいえ、誰もの記憶にタイタニックの事は焼き付いていました。ボックスホール航海士は寡黙な人柄だったと言われ、自らタイタニックのことを語ることはありませんでしたが生存したタイタニックの航海士として良く知られた存在であり、キュナードホワイトスターがこうして広告に彼を起用すれば、これを見た人々が必ずタイタニックのことを思い起こすことは分かっていた筈です。タイタニックのことは、不幸な事故であったことは確かながら、やはりどちらかと言えば不名誉な出来事であり、ホワイトスター社は少なからぬ非難を浴びています。敢えてボックスホール航海士を広告の写真に起用した理由がはっきりとはわかりませんが、感じられることはひとつ。これこそ不屈のジョンブル魂、英国人の気質を良く顕しているものなのではないかと思います
・ 雑感
ボックスホール航海士の出自とキャリアからすれば、いずれ船長に就くのが至当だったともいわれます。あの事故によって、ボックスホール航海士が船を降りても不思議ではなかったところ、ホワイトスターはオリンピック乗船勤務、キュナードは敢えて旧ホワイトスターではないベランガリアやアキタニアの一等航海士に起用、そして本広告・・・名誉回復を計ったものではないのでしょうが、ボックスホール航海士の船員としての実力や人柄の良さ(彼が乗船した客船の船長は揃ってかなりの信頼を彼に寄せていたと言われます)が感じられると同時に、英国船会社の正当に職務を評価する姿勢と温情、本物のシーマンシップのようなものを感じます (T.O.)
【Maritime Gallery Ocean-Note】
● ジクレーアートプリント・客船 LL/Poster Ocean Liner INDEX
※ポスター画像をクリックしていただくと詳細ページへ移動します
納入事例
客船ポスター四方海話
船と港のエッセイ 1
船と港のエッセイ 2
【Maritime Gallery Ocean-Note】