● 1935年 北ドイツロイド・ハパグ雑誌広告レプリカ 額入りジクレーアート
≪PROMPT≫
額縁・マットの色をプルダウンにてお選びください
送料無料。お届けはご注文後約7日です。価格にはアートプリントとマット・額縁、全て含まれます
作者名 :anonymous
製作年 :1935
額縁・マット : 木製カマボコ型=12mm、t=1.5mmx2枚ダブルマット、前面1.8mm厚UVカットアクリル(クラレ・コモグラス)
額縁とマット色をお選びいただけます
・黒艶消し額縁 X ブラウン/ライトベージュ・ダブルマット
・白ツヤ額縁 X ネイビー/ライトブルー・ダブルマット
額縁サイズ : 410mm x 525mm
作品サイズ : 272mm x 407mm (内側マット抜きサイズ、表側オーバーマット抜きは282 x 417mm)
当商品は伊勢和紙に顔料インクを用いたアートプリントを国産材料で額装したものです。奥行きを持たせる濃淡色二重のダブルマット仕様です。伊勢和紙は伊勢神宮の奉書紙として漉かれ全国の神宮大麻に使用されています。インクジェットに意欲的で、伊勢和紙アート紙は新たな表現材料として世界中のアーティストに使用されています。マーメード紙程度の表面テクスチャーによる風合いが楽しめ、無酸性紙に顔料の組合せはリトグラフやシルクスクリーンに比べ格段の保存性を持ち、数十年単位の鑑賞に耐えます。画像データに傷や劣化の補修、彩度などの可塑修正を施し、テストプリントを繰り返し微調整して仕上げています
● 1935年 北ドイツロイド・ハパグ雑誌広告
大西洋を28.5ノット以上の巡航速度をもって5日間で横断するスーパーライナーの運用は、採算性から逆算された5万トン(乗客数で2000名以上)のキャパがそこそこ埋まれば、机上の計算では充分に成り立ちます。しかし実際には、乗船待ちが出る程でないと採算確保は難しく、結局は郵便輸送などの名目で支払われる事実上の政府運航補助金で成り立っている側面がありました。NDL・北ドイツロイドが就役させた客船ブレーメンとオイローパは史上初のスーパーライナーとして1929年、1930年に就役します。恐慌の影響はあったものの評判の高速客船である2隻の消席率は上々で75%前後を記録、この間ドイツ客船の北大西洋航路でのシェアは15%も向上したとされています。しかしながら、いかに造船工学の粋を極めた両船をもってしても、実際には採算はトントンがいいところであり、1929年からの恐慌の影響に加え、1933年のヒトラー政権誕生によってドイツ系以外の米国人乗船客に敬遠されがちになると採算は悪化しました。花形の北大西洋航路の維持は、国威高揚を謀るヒトラー政権にとって死守すべきものであり、同じく恐慌で経営悪化していたHAPAG・ハンブルクアメリカラインとともに北大西洋ハパグロイド共同体を国家資本で設立することとしました。共同企業体はNDLとHAPAGの両社から北大西洋航路客船を一活で傭船、但しこれは経理上の処理としてなされることで、実際の航路運航には変化がなく、共同企業体の存在自体、一般に知られることさえ少なかったといわれます。両船社は折に付け共同運航は行ってきましたが、両社連名のプロモーションは無く、1933年以降は北大西洋航路に限り両社連名の広告が盛んに打たれました。
ハンブルクはライン川、ブレーメンはウェザー川を上った貿易都市で、距離は列車で1時間ほどの隣接する商都です。HAPAGとNDLは、両社とも貿易商の組合によって似通った経緯で設立された隣人のような船会社同士でありながら社風は趣を異にしていました。戦前に限ったことで言えば、急進的で好戦的なNDLに対し、HAPAGには穏やかな協調路線の気風があり、対立こそありませんでしたが水と油でした。1933年に共同体が設立されて広告も連名で打たれますが、実際には両社が別々に制作した広告を連名にしたのみで、当時の大衆の受け取り方がいかようだったか想像できませんが、当時の広告を並べてみれば、どの広告をHAPAGとNDLのどちらが制作したものか一目瞭然、簡単に言えば、NDL制作のものはキャッチコピーが鮮烈でデザインは厳格・威厳を感じさせますが(バウハウス的と評されることも多い)、HAPAGのものは美しく優し気でキャッチコピーもなく、どことなくフランス的です。ハード路線とソフト路線ということでしょうか・・・本作は、お判りのとおりNDL制作の広告です。
左上のファンネルの写真は、スリットの有無から客船ブレーメンのものであることがわかります。キャッチコピーは「PROMPT」、速いだけならfastの方が分かり易い筈ですが、そこがNDLのNDLたるところ、何の基準もないただの速さなのではなく、厳格に速いスケジュールを守る「迅速」という意を用いています。その辺りの自信は下のBREMENの船名の上のコピーにきちんと表されており、ニューヨークからの出航で「5日目の朝には連絡列車(当然パリ行きと考えられます)の待つシェルブールに到着、サウザンプトンへは午前11時、ブレーメンには翌朝7時でベルリン行き連絡列車と連絡」と記されています。船は天候任せの乗り物なので、どちらかと言えば早着が多かったようですが、到着時間までを明示する広告は珍しく、このあたりもNDLの社風でしょうか。ちなみに、実は5日目の朝というのは真夜中出航を「前夜」にカウントした詭弁で、厳密には6日目の朝の方が正確です。NDLとHAPAG、良くも悪くもドイツ的な広告といえるでしょう
・ 雑感
1930年代のNDL主導の雑誌広告は、一部のものを除き、現在でも入手可能なものが多くあります。現存数の多さから、当時、相当に手数多く広告が打たれたものと想像されます。北米向けプロパガンダ的な意味合いもあったのではないかと思われます。(そのように考えねば理解できない程、手数が多いといえます) 玉石混合ではありますが、バウハウス的と称されることも多い、戦前ドイツのデザインという意味では好例に揚げ得るものも多く見られます (T.O.)
【Maritime Gallery Ocean-Note】
● ジクレーアートプリント・客船 LL/Poster Ocean Liner INDEX
※ポスター画像をクリックしていただくと詳細ページへ移動します
納入事例
客船ポスター四方海話
船と港のエッセイ 1
船と港のエッセイ 2
【Maritime Gallery Ocean-Note】