● 1938年 ベントレー4?リッター雑誌広告レプリカ 額入りジクレーアート
≪BENTLEY≫
額縁・マットの色をプルダウンにてお選びください
送料無料。お届けはご注文後約7日です。価格にはアートプリントとマット・額縁、全て含まれます
作者名 :anonymous
製作年 :1938
額縁・マット : 木製カマボコ型=12mm、t=1.5mmx2枚ダブルマット、前面1.8mm厚UVカットアクリル(クラレ・コモグラス)
額縁とマット色をお選びいただけます
・黒艶消し額縁 X ブラウン/ライトベージュ・ダブルマット
・白ツヤ額縁 X ネイビー/ライトブルー・ダブルマット
額縁サイズ : 410mm x 525mm
作品サイズ : 272mm x 407mm (内側マット抜きサイズ、表側オーバーマット抜きは282 x 417mm)
当商品は伊勢和紙に顔料インクを用いたアートプリントを国産材料で額装したものです。奥行きを持たせる濃淡色二重のダブルマット仕様です。伊勢和紙は伊勢神宮の奉書紙として漉かれ全国の神宮大麻に使用されています。インクジェットに意欲的で、伊勢和紙アート紙は新たな表現材料として世界中のアーティストに使用されています。マーメード紙程度の表面テクスチャーによる風合いが楽しめ、無酸性紙に顔料の組合せはリトグラフやシルクスクリーンに比べ格段の保存性を持ち、数十年単位の鑑賞に耐えます。画像データに傷や劣化の補修、彩度などの可塑修正を施し、テストプリントを繰り返し微調整して仕上げています
● 1938年 ベントレー4?リッター雑誌広告
英国内向け、1938年ベントレーの雑誌広告です。デザインも何も無く、単にサウザンプトンの埠頭で客船クイーンメリーをバックに写したベントレー4?リッターの写真が使用されています。現在、我々が目にする古い雑誌広告は殆どが米国の雑誌に掲載されたもので、それ以外の国でその国内向けに打たれた広告が存在しなかった筈は無いものの、ただ単に絶対量の違いにより残され損なったものと思われます。例えば、VOUGE誌は欧州版(英国版)や仏版も発行されて、その誌面に雑誌広告が無かった筈もありませんが、一部を除いて殆ど今日に伝わりませんでした。言語の壁もあったのかもしれません。本広告は英語ながらベントレーの価格はポンド表記、すなわち英国内向けのもので、目にすることが珍しいものです。
ベントレーは1919年にウォルター・ベントレーによって設立されたスポーツカーメーカーでした。後のフェラーリのようなもので、高性能のスポーツカーでレースに出場することが会社の目的のようなところがあり、市販車とレース車の違いが余りありませんでした。無論、自動車レース自体、極端なレース専用のエンジンと車両が使用されるのは1960年代あたりからなので、当然と言えば当然です。ベントレー設立後の最初の自動車は「ベントレー3L」で、プジョーとメルセデスのレース出場車を参考に設計されたと言われます。ただし出来上がったエンジンは鋳鉄製ではないアルミのピストン、DOHCで一気筒4バルブという当時としては革新的なもので、この3Lエンジンをもって1923年から始まったル・マン24時間レースで、1924年と1927年には優勝、圧縮比を上げたスピード、スーパースポーツ、排気量も最終的には6気筒6Lまで拡大されて、1930年までに都合5度の優勝を果たしました。高性能スポーツカーの称賛を欲しいままにしたベントレーでしたが、レースと会社経営はまた別、一説によれば1929年からの世界恐慌の影響ともいわれますが、そもそもレースで華々しい活躍をしながら昔も今もレースはお金のかかるもの、経営は常に火の車だったようで1931年にはとうとう経営権が競売されることになります。この競売入札に投資会社名を使って参加したのがロールス・ロイスで、ライバルのネイピア社とベントレーの合併を恐れてのことだったと伝わります。1931年に買収が完了、ベントレーはウォルター・ベントレーも役員に残留しロールス・ロイス傘下で経営再建して行きますが、以後ロールス・ロイス時代のベントレーはロールス・ロイス車のスポーツ版、もしくはオーナーカー版として、実質的にはバッジエンジニアリング車色を強めて行きます。
戦後になるとロールス・ロイスとベントレーは、ブランドマーク以外に見分けさえつかなくなった時代もありますが、少なくとも1930年代はスポーツバージョンとしての区別が明確になされていおり、1933年発売の「ベントレー3?L」は、ツィンキャブレターでチューニングされたエンジンをロールス車より低いシャシーに積み、ショートホイールベース化、出力は110hpで最高速は145km/hまで上げられました。ベントレーのロールス・ロイス化は賛否両論でしたが、少なくとも創業者のウォルター・ベントレーをして「私なら、このベントレーを買うだろう」と言わせるほどの出来でした。1936年には後継モデルとして本広告の「ベントレー4?L」が登場、3?L同様、ロールス車をはるかに上回る性能を見せつけ、結局、戦前に関して言えばロールス・ロイスとベントレーは良い意味でスポーツカーとしてのベントレー車の面目を良く保ったといえるでしょう。尚、1933年の3?L以降、ロールス・ロイスはベントレーブランドに「The Silent Spotscar」というキャッチコピーを加えますが、本広告の右上のロゴマークにはそのコピーが入れられています。
客船クイーンメリーとベントレー、両者ともに英国製の高性能を誇る技術の結晶です。英国民であれば誰もが感に堪えない素晴らしい広告だったことでしょう
・ 雑感
ロールス・ロイスによる買収後、ウォルター・ベントレーが役員として会社に残留した時、約束ではレース活動を継続することになっていました。事情は不明ながら約束は反故にされ、ベントレーの名はレースから消えます。1971年、航空機エンジン開発の失敗からロールス・ロイスが倒産して国有化、1973年に自動車部門が分割されてヴィッカーズ傘下に入り、1998年にはロールス・ロイスはBMW傘下、ベントレーは遂にロールス・ロイスと離れフォルックスワーゲンの傘下に入ります。そして2003年、アウディR8をベースに開発された「スピード8」で73年振り6度目のル・マン優勝を果たしました。VWアウディグループのなかなか粋な計らいは想像に難くありません (T.O.)
【Maritime Gallery Ocean-Note】
● ジクレーアートプリント・客船 LL/Poster Ocean Liner INDEX
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納入事例
客船ポスター四方海話
船と港のエッセイ 1
船と港のエッセイ 2
【Maritime Gallery Ocean-Note】