● 1925年 客船ベルゲンランドのポスター 精密レプリカ額入りジクレーアート
≪WORLD CRUISE, RED STAR LINER BELGENLAND, THE LARGEST SHIP TO CIRCLE THE GLOBE≫
額縁・マットの色をプルダウンにてお選びください
送料無料。お届けはご注文後約7日です。価格にはアートプリントとマット・額縁、全て含まれます
作者名 :J.F. Bulter
製作年 :1925
額縁・マット : 木製カマボコ型=12mm、t=1.5mmx2枚ダブルマット、前面1.8mm厚UVカットアクリル(クラレ・コモグラス)
額縁とマット色をお選びいただけます
・黒艶消し額縁 X ブラウン/ライトベージュ・ダブルマット
・白ツヤ額縁 X ネイビー/ライトブルー・ダブルマット
額縁サイズ : 410mm x 525mm
作品サイズ : 272mm x 407mm (内側マット抜きサイズ、表側オーバーマット抜きは282 x 417mm)
当商品は伊勢和紙に顔料インクを用いたアートプリントを国産材料で額装したものです。奥行きを持たせる濃淡色二重のダブルマット仕様です。伊勢和紙は伊勢神宮の奉書紙として漉かれ全国の神宮大麻に使用されています。インクジェットに意欲的で、伊勢和紙アート紙は新たな表現材料として世界中のアーティストに使用されています。マーメード紙程度の表面テクスチャーによる風合いが楽しめ、無酸性紙に顔料の組合せはリトグラフやシルクスクリーンに比べ格段の保存性を持ち、数十年単位の鑑賞に耐えます。画像データに傷や劣化の補修、彩度などの可塑修正を施し、テストプリントを繰り返し微調整して仕上げています
● 1925年 客船ベルゲンランドのポスター
地中海とインド洋を海路で結ぶスエズ運河が1869年に開通、ヴェルヌの小説「80日間世界一周」に触発されるように世界一周旅行が催行されるようになりますが(ちなみにヴェルヌの著作と、トーマス・クック社による初の世界一周旅行は関連付けられることが多いものの、ヴェルヌとクック社の両社はそれぞれ別にスエズ運河開通から世界一周の構想を得たもので、両者のアイデアに全く関連がありません)、遅れること40年余り、大西洋と太平洋を結ぶパナマ運河が1915年に開通、これによって世界一周航海が現実のものとなります。喜望峰やホーン岬を回るのは日数的にも寄港地的にも非現実的であり、実際にそれまでの世界一周は、それが船旅であれば地峡部または大陸横断を陸路でつなぎ合わせるしかありませんでした。真の世界一周クルーズ航海は、1922年にアメリカンエキスプレスによってキュナードの客船ラコニアをチャーターして行われたものが最初でした。現在では船会社が自社でクルーズ旅行を催行して代理店はチケット販売の機能に特化する傾向がありますが、19世紀から客船黄金時代終焉期までは旅行代理店の力が相対的に強く、定期客船使用の冬季クルーズなどもトーマス・クックやアメリカンエクスプレス、レイモンド・ウイッコムといった代理店の催行で行われていました。
本作は1922年に始まる世界一周クルーズを大型客船で行う口開けとなった1925年から1926年にかけて133日間の旅程で催行されたレッドスターラインの客船ベルゲンランドによるワールドクルーズのポスターです。ベルゲンランドのワールドクルーズ以前は、各船社の旗艦が使用されるには至らず、船会社も代理店も市場を瀬踏みする感がありましたが、アメリカンエキスプレスとレッドスターライン(恐らくは親会社たる海運トラストIMMの意図も強かったでしょう。現に本作にはInternational Mercantile Marineの社名も入っています)は一気に当時としては大ぶりな旗艦のワールドクルーズへの投入を決断しました。このクルーズは大成功で、461名の船客で催行したクルーズの運賃売り上げは200万ドルに達したといわれ、大型客船の冬季クルーズへの投入は、やりようによっては採算性の高い航海ツアーであることを証明しました。
ベルゲンランドは、1000フィート、8万トンのホワイトスターラインの客船セリックとして1912年に起工されました。実際に8万トン級客船が登場するのは1930年代のノルマンディー、クイーンメリーを待たねばなりませんが、実はその30年近く前に8万トン級客船が起工されたことは歴史上の秘話で、結果的には第一次大戦従軍の輸送船に計画は変更、25000トンの貨物兼兵員輸送船バルジックとして完成されました。(タイタニックの事故の影響もあったかもしれません) 大戦後、バルジックは一時放置されますが、ハーランドウォルフ造船所が引き取り客船に大改装、27000トンの客船として1923年にレッドスターラインに引き渡されベルゲンランド(ベルギーの意)と改名されます。レッドスターラインの旗艦として北大西洋航路主役の一隻となりますが、アインシュタインがベルゲンランドに乗船中にヒトラーの独裁完成を知り、アントワープで下船してそのままレッドスターラインの別の船に乗り換えて米国に亡命したのは良く知られる挿話です。
作者バルターの来歴は不明ですが、旭日をモチーフにしたような図案は推測ながら日本郵船のポスターのデザインを引用しているように見えます。放射状の旭日のデザインは欧州で一般的なものではなく、逆に日本では古来から九州地方を中心に伝わってきた図案でした。(その後、維新から明治時代に軍旗として一般化して行くのはご存知の通りです) 恐らくは日本的旭日をモチーフに西回りの夕陽を表現したものと思われます。レッドスターライン、前述のIMM、アメリカンエキスプレスの連名は外連味の無いところ、このクルーズ航海への信頼性を大いににアピールすることに一役買ったところでしょう。永年、モノクロの資料のみで知られたポスターでしたが、状態は最悪ながら新たに現存が確認され、今日のクルーズ客船の黎明期を知ることが出来る史料的価値の高いポスターです
・ 雑感
この1925年のワールドクルーズに関して、上記の通りポスターの資料画像だけは伝わっていましたが現物の現存は確認出来ていませんでした。一方、よく似た図案のブローシャーの表紙は少ないながら現存も確認され、この図案をもって「ポスター」と称する著述挿絵も見かけます。時代の恩恵を事あるごとに書いていますが、このポスター現物の現存確認と資料画像の入手も大きな恩恵でした。ただし、貴重なオリジナルの保存状態は最悪で、一緒に保存されていたと思われる別のポスターのリトグラフが全体に色移りしており、全面に修正を施しています (T.O.)
【Maritime Gallery Ocean-Note】
● ジクレーアートプリント・客船 LL/Poster Ocean Liner INDEX
※ポスター画像をクリックしていただくと詳細ページへ移動します
納入事例
客船ポスター四方海話
船と港のエッセイ 1
船と港のエッセイ 2
【Maritime Gallery Ocean-Note】