● 1954年 キュナード 客船クイーンエリザベスのポスター 精密レプリカ額入りジクレーアート
≪Cunard, THE SUPERLINER WAY TO and FROM EUROPE, QUEEN ELIZABETH QUEEN MARY, Getting there is the half the fun!, GO CUNARD≫
額縁・マットの色をプルダウンにてお選びください
送料無料。お届けはご注文後約7日です。価格にはアートプリントとマット・額縁、全て含まれます
作者名 :anonymous
製作年 :1954
額縁・マット : 木製カマボコ型=12mm、t=1.5mmx2枚ダブルマット、前面1.8mm厚UVカットアクリル(クラレ・コモグラス)
額縁とマット色をお選びいただけます
・黒艶消し額縁 X ブラウン/ライトベージュ・ダブルマット
・白ツヤ額縁 X ネイビー/ライトブルー・ダブルマット
額縁サイズ : 410mm x 525mm
作品サイズ : 272mm x 407mm (内側マット抜きサイズ、表側オーバーマット抜きは282 x 417mm)
当商品は伊勢和紙に顔料インクを用いたアートプリントを国産材料で額装したものです。奥行きを持たせる濃淡色二重のダブルマット仕様です。伊勢和紙は伊勢神宮の奉書紙として漉かれ全国の神宮大麻に使用されています。インクジェットに意欲的で、伊勢和紙アート紙は新たな表現材料として世界中のアーティストに使用されています。マーメード紙程度の表面テクスチャーによる風合いが楽しめ、無酸性紙に顔料の組合せはリトグラフやシルクスクリーンに比べ格段の保存性を持ち、数十年単位の鑑賞に耐えます。画像データに傷や劣化の補修、彩度などの可塑修正を施し、テストプリントを繰り返し微調整して仕上げています
● 1954年 キュナード 客船クイーンエリザベスのポスター
ニューヨークのマンハッタンターミナルへ到着直前、ハドソン川を遡行する客船クイーンエリザべスの水彩画を使用したキュナードのポスターです。
キュナードが4隻の外輪蒸気汽帆船を建造して英国政府から受託した北大西洋航路の定期郵便輸送を二週一航で開始したのが1840年、建造されたブリタニアは全長63mで1150トン、8.5ノットの航海速度でリバプール・ハリファックス間を西航で14日間、東航で11日間ほどを要しました。100年後の1940年、キュナードはついに前人未到の「2隻の客船による英米間一週一航」の夢を叶える筈でした。二週間で米英間往復航海を行うには給油や補給の時間を差し引けばおおよそ5日間で北大西洋航路を駆け抜けねばならず、航海速度は28.5ノットを必要とします。これに要する燃料から採算を逆算すると乗客約2000人、大西洋の波の波長も考慮すると全長300mで80000トンといった船の要目がはじき出されます。こうして計画されたのがキュナード・クイーンズ、客船クイーンメリーとクイーンエリザベスでした。第一船のクイーンメリーは1936年に就役、第二船のクイーンエリザベスを待つことになります。1939年9月、クイーンエリザベスの完成と同時に第二次世界大戦が勃発、クイーンメリーはニューヨークの埠頭に留め置かれ、エリザベスの方は80000トン客船の唯一の泣き所であった深い吃水のため、クライド川の潮位が上がる1940年の3月を待ってサウザンプトンに回航されてドック入りし船底の仕上げを受ける予定でしたが・・・ドイツ軍機のサウザンプトンのエリザベスを狙った空襲の情報を事前に察知したため、急遽船底のメンテも受けぬままニューヨークへ回航されました。結局クイーンエリザベスは一度も乗客を乗せぬまま、クイーンメリーとともに兵員輸送に従事、後にチャーチルをして「クイーンズの活躍がなければ戦争の終結はもう一年遅れただろう」と回想録に記させるほどの活躍をします。クイーンエリザベスが戦後の復員輸送を終えて客船として就役したのは1946年10月、クイーンメリーの復帰はは1947年7月、こうしてクイーンズは7年遅れで悲願の「2隻の客船による英米間一週一航」を果たすことになります。両船ともに戦時の酷使がたたり、30ノットを超える航海速度を得ることはできなくなっていましたが、週航を守る28.5ノットでの運用には十分な余裕があり、ツーリストクラスへの乗船は一年待ちになるほどの大変な人気を博することになります。
キュナードクイーンズが平和の戻った大西洋で我が世の春を謳歌していた頃、時代のページをめくる足音は確実に迫っていました。本作ポスターにはキュナードが1953年頃から盛んに使い始めたキャッチコピーが見られます。「Getting there is half the fun!」・・・中高等学校英語だけではなかなか歯が立ちませんが米語では慣用される言い回しで、目的地に着くことだけが旅の楽しさではないといった程度の意で、旅はその途中が楽しみなのだということを言っています。海運史を紐解くと、1940年代にロッキード・コンステレーション、ダグラスDC-6、ボーイング・ストラトクルーザーが相次いで大西洋横断航空路に就航、船会社は手荷物を制限されて狭い座席の我慢を強いられる旅客機が、少なくとも大西洋航路で客船の乗客を大きく奪うことは無いとタカを括っていた・・・と解説、つまり旅客機に対する対抗心を露わにすることはなく、1958年に大西洋横断の客船・旅客機の乗客数が逆転して初めて慌てたと振り返ります。否、少なくともキュナードはこの「Getting there is half the fun!」で、すでに1950年代前半には真正面からアンサーを発しています。
とまれ、本作は終焉近かったとはいえキュナードクイーンズがまだ華々しく活躍したした時期に使用されたものです。キュナードは元々、雑誌広告に比べてポスターへの手数が多くありませんでしたが、特に戦後は、1939年に制作されたトム・カーが描いたポスターをトリミングして作り直したものや、1947年にウォルター・トーマスの筆になるポスターが制作された以外にポスターを作りませんでした。旅行会社やチケット代理店も貼るべきものがなく難渋したのではないかと思う程です。やっと重い腰を上げたのは1953年から1954年頃、クイーンエリザベスの水彩画を中央に配し、上下の空白部にはコピーが入れられています。このコピー部分は言語違いやバージョン違いが多数あり、コピー違いでは何種類制作されたのか正確に数えるのが困難なほどです。お世辞にもアールデコ時代の芸術性が評価されたようなポスターと同等には評価し難い、コート紙ベースの大変に現代的マスプロの風情を感じさせるものですが、それも時代を写す等身大の姿です。コピーを差し替えて1953年頃から1957年頃まで使用されました
・ 雑感
野間恒氏の名著「豪華客船の文化史」に航空機の到来についてキュナードの受け止めの挿話として、1946年のクイーンエリザベス処女航海時のフラー船長の言葉を紹介しています。以下引用 - 出帆するエリザベスのブリッジで指揮するフラー船長は「大西洋横断の空路ができても、客船はなんの痛痒も感じないだろう。狭い座席に縛りつけられる苦痛と、霧で飛行場に閉じ込められる不便は、耐え難いものだから」と漏らしていた。 - 引用ここまで。 これは1947年当時の話なので、1950年代にはまた別の見解もあったはずですが、このあたりの談話が独り歩きして航空機に対して船社は大した危機感を持っていなかったという間違った考証が一般的なのは残念なことです。少なくともキュナードは充分に現実を見通していました・・・ただその変化の速さが予想以上だったということです (T.O.)
【Maritime Gallery Ocean-Note】
● ジクレーアートプリント・客船 LL/Poster Ocean Liner INDEX
※ポスター画像をクリックしていただくと詳細ページへ移動します
納入事例
客船ポスター四方海話
船と港のエッセイ 1
船と港のエッセイ 2
【Maritime Gallery Ocean-Note】