● 1938年 日本郵船・新田丸の一般配置図 精密レプリカ額入りジクレーアート
≪N.Y.K. LINE NITTA-MARU, Mitsubishi Shipbuilding & Engineering Co. Nagasaki 1940≫
額縁・マットの色をプルダウンにてお選びください
送料無料。お届けはご注文後約7日です。価格にはアートプリントとマット・額縁、全て含まれます
商品名 :1938年 日本郵船・新田丸の一般配置図 2697XL
作品名 :N.Y.K. LINE NITTA-MARU, Mitsubishi Shipbuilding & Engineering Co. Nagasaki 1940
作者名 :三菱造船(三菱重工業)
製作年 :1938年頃(1950年代修復再出図)
額縁・マット : カマボコ型 12mm t=1.5mmx2枚ダブルマット 前面1.8mm厚UVカットアクリル(クラレ・コモグラス)
額縁とマット色をお選びいただけます
・黒艶消し額縁 X ブラウン/ライトベージュ・ダブルマット
・白ツヤ額縁 X ネイビー/ライトブルー・ダブルマット
額縁サイズ : 440mm x 560mm
作品サイズ : 312mm x 468mm (内側マット抜きサイズ、表側オーバーマット抜きは322 x 478mm)
当商品は伊勢和紙に顔料インクを用いたアートプリントを国産材料で額装したものです。奥行きを持たせる濃淡色二重のダブルマット仕様です。伊勢和紙は伊勢神宮の奉書紙として漉かれ全国の神宮大麻に使用されています。インクジェットに意欲的で、伊勢和紙アート紙は新たな表現材料として世界中のアーティストに使用されています。マーメード紙程度の表面テクスチャーによる風合いが楽しめ、無酸性紙に顔料の組合せはリトグラフやシルクスクリーンに比べ格段の保存性を持ち、数十年単位の鑑賞に耐えます。画像データに傷や劣化の補修、彩度などの可塑修正を施し、テストプリントを繰り返し微調整して仕上げています
● 日本郵船・新田丸の一般配置図
日本郵船・新田丸の一般配置図(デッキプラン・図面)です。
新田丸は1940年3月に竣工したものの、すでに前年9月には欧州では第二次大戦開戦、11月には照国丸(浅間丸級、氷川丸級と同時期に建造された欧州航路主力客船)がテムズ河にて触雷沈没したことから、予定していた欧州線には配船されず、サンフランシスコ線に就航しました。翌1941年9月、日米開戦を前にして新田丸は徴用され兵員輸送に従事、1942年5月には海軍籍となり航空母艦冲鷹(ちゅうよう)に改装されました。商船改造の特設空母とはいうものの、実際には21ノットの速力(欧州航路客船としては高速に類した)では艦載機の発艦は難しく、専ら航空機の輸送に従事、1943年12月、横須賀を出港しトラックへ向かう八丈島東方沖で米潜水艦の雷撃で沈没しました。(注:カタパルトを持たない日本の航空母艦が艦載機の発艦に必要とした船速は概ね26ノット以上でした。新田丸は1930年竣工の浅間丸級から10年、燃費と省スペースを優先したディーゼル主機を採用せず、軍籍移動を考慮して三菱製蒸気タービン主機を採用しました。当時20000馬力を超える出力を得るには蒸気タービンが世界の主流、かつオーバーロード運転による発艦時の高速航行が期待されたためです。結果的には、そこまでの船速は得られなかったようです)
かつて、1929年にドイツ客船ブレーメンが就役したとき、流線型のハウス部分に大衆は息を呑んだといわれます。それまで客船のハウス部は直立しているものだったからです。ドイツ客船にから10年遅れたものの新田丸ではハウス前部が曲線で構成された流線型の船容だったことが一般配置図で明確に見て取ることができます
・ 雑感
最後の太平洋航路的客船となった新田丸でしたが、すでに空母への転用がかなり現実的な中で計画されたのは図面上も感じるところで、元々が需要の少ない欧州航路用ということもあり下層にはゆとりを持たせた計画が見て取れます。識者の意見ではドイツのシャルンホルスト級客船を意識した設計とも言われますが、どことなく往時の日本郵船の客船とは趣の違う一般配置図であることは一見してわかります (T.O.)
【Maritime Gallery Ocean-Note】
● ジクレーアートプリント・客船一般配置図 (デッキプラン図面) XL INDEX
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納入事例
客船ポスター四方海話
船と港のエッセイ 1
船と港のエッセイ 2
【Maritime Gallery Ocean-Note】