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株式会社 オーシャンノート 横須賀市三春町 5-9-73 #201 046-804-4611 |
The Grandest Prize 1974 America's Cup ¥1100(送料無料) ご購入前に「About DVD」をご確認ください |
Stock Number: DVD Title : Language : Sub Title : Number of Disk : Runtime : Region Codes : Year : Video Quality : |
D9089 アメリカズカップ 1974 英語 なし 1 枚 42 分 リージョンフリー(リージョン0) 1974年 C(画質について) |
米国のケーブルテレビESPNで放映された1974年アメリカズカップのダイジエストプログラム。製作編集はミスティックシーポートミュージアム。 カップがやがてニューヨークヨットクラブの手を離れることへの序章を感じさせる、大きな変化が見られたカップシリーズとなりました。本映像でも一目瞭然、トライアルレースで専ら話題をさらったのは、南部出身のテッド・ターナー、ターナーのタクティシャンには西部出身のデニス・コナーが抜擢されました。NYYCから見ればアテ馬だったトライアル艇のこの二人は、ターナーが翼1977年にカップを防衛、コナーは後にミスター・アメリカズカップと称されるに至るのは周知のこと、NYYCの力も衰えて思のままにはならないことが如実に示されました。ターナー達が敗退した後も、本命のカレイジャスは、旧艇イントレピッドに圧倒的な差をつけるには至らず、NYYCはついに、ターナーのタクティシャンであったデニス・コナーをカレイジャスのヘルムスマンへ「スカウト」するドタバタを演じます。しかし、これが満更的外れではないことは、テッド・フットがデニス・コナーを得てイントレピッドへの優位をはっきりさせたことからも判ります。こうしてミスターアメリカズカップ、デニス・コナーがカップレースにデビューすることになりました。ちなみに、トライアル中のデニス・コナーはヒゲをたくわえていますが、フッドと組んで以降は綺麗にそり落としています。 挑戦側は、後にNYYCとコナーからアメリカズカップを奪うことになるアラン・ボンドのシンジゲート、旧来の上品な挑戦者とはいささか色の異なる風雲児の登場でした。結果は4-0で歯が立たなかったことになりますが、レース後にデニス・コナーが語るには、第一第二レースでの艇速は、挑戦艇サザンクロスの方が勝っていたと言います。前回までの好挑戦者であった、パッカー卿が死去したため、アラン・ボンドは艇を含めた挑戦の遺産をパッカー卿の遺志を含めて丸ごと引き継いだと言われます。ボンドは、この挑戦からから4度目でカップを奪取、パッカー卿から数えれば6度の挑戦(豪州という括りならば8度)で偉業を成すことになるスタートが1974年のシリーズでした。 この映画フィルム時代の貴重な記録映像のオリジナルは、戦前にアメリカズカップに莫大な私財をつぎ込んだトーマス・リプトンの意志を継いだリプトンカンパニーによって制作されました。後にミスティックシーポートミュージアムがビデオ化、一時はビデオが販売されましたがDVD化はされておらず、その後は米国のケーブルテレビで放映されたのみでした。再放映されたケーブルテレビ放映プログラムをホームビデオで録画したものです。 |
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