カッサンドル L'ATLANTIQUE
Ocean-Note, L'ATLANTIQUE : A. M. Cassandre 1931
ポスター 四方海話 巻壱
アドルフ・ムーロン・カッサンドルの代表作・・・いやいや、もっと言えばアールデコポスターの代表作である。カッサンドルは後の1935年に客船ノルマンディーで”客船ポスターの決定版”を描くが、好みは分かれるようで、極端なデフォルメと優雅なデフォルメ、いずれを好むか意見は割れる。ちょっと船を齧った人ならばいろいろな史料・文献で一度や二度は見ているに違いないこのポスターだが、意外にここに描かれている客船のことはあまり知られていない。僕もご多分に洩れず解説を書くのに四苦八苦した。
黒字で大きく書かれているのはL'ATLANTIQUE、つまりTHE ATLANTIC=大西洋ということだ。上部にはL'AMERIQUE DU SUD、これはTHE AMERICA OF SOUTH=南米、そして下部にはCOMPAGNIE DE NAVIGATION SUD ATLANTIQUE、英語ならCOMPANY OF SOUTH ATLANTIC NAVIGATION=南大西洋汽船会社、そして、このポスターに描かれた客船が40000トンだと明記してある。
ネタばらしをするようだが、客船自体のことは洋書やウェブの記述が結構あるが、ポスターだけのことを詳しく解説するアンチョコは見当たらず、勉強も兼ねてポスターのことを調べるのに役に立つのが・・・実は海外のオークションの説明なのである。ヴィンテージポスターは、カッサンドルクラスになると邦貨で20~30万円を下らないし、高いものだと150万くらいはする。そうなると超高級品(笑)だからオークショナーも学芸員さながらに調べて説明を書いたりするので、こいつを参考にするわけだ。ところが・・・
このポスターの由来を調べると(もっとも、自慢じゃないが洋の東西問わずこんなことやるのは僕くらいのようで、殆どの本業ポスター屋さんはそんなこと全然書いてもいないけれど・・・)、要約すれば「このポスターに描かれている客船はチャーターされたイル・ド・フランスで、子会社の南大西洋汽船会社が行った南米行き、1931年の冬季クルーズの宣伝に使用された」といった複数の記述が見られた。苦労して仏語や英語で書かれたこの記述を見つけた時に、僕はシメタ! と思った。このポスターの客船がイル・ド・フランスだと知っているのは、日本ではきっと僕を含めて5人くらいだろう・・・何故かと言えば、第一に1930年頃にフランスで40000トンの客船は、43000トンのイル・ド・フランスしか無かった筈、第二にイル・ド・フランスのファンネルカラーは赤なのにポスターのファンネルは黄色で、なおかつイル・ド・フランスのファンネルが黄色く塗られた記録は無いこと、このふたつの謎がきちんと解けると考えたからである。つまり、1931年の冬、南大西洋汽船会社が親会社のフレンチラインからイル・ド・フランスをチャーターして南米冬季クルーズを組んだが、花形の北米航路で活躍するフランスの旗艦イル・ド・フランスがクルーズというのは聞こえが悪いので、南大西洋汽船会社のファンネルカラーの黄色でポスターが製作された・・・当時はクルーズは定期航路より一段低く見られており、定期船が冬季クルーズをやるのは、先発投手が敗戦処理に登板させられるようなもので、カッコ悪いと思われる一面があった、と解釈すればポスターの中の文字も全て辻褄が合うのである。
ところが、このカッサンドルのL'ATLANTIQUEのポスターの解説の間違いに気付いた。現代はネット社会で、間違った情報は間違ったままコピペで拡散するから、もしかすると僕がそのように理解したように”イル・ド・フランス説”は定説化しているのかもしれないが、わずか2年ほどの間、南大西洋汽船会社船籍で仏・南米航路に就航していた”L'ATLANTIQUE”という船名の40000トンの客船が存在したのである。”L'ATLANTIQUE”は、アトランティック造船所で1928年に起工、1931年に就役したものの1933年1月、冬季ドック入りを終えた回航中に火災、沈没は免れたものの全損して1936年に廃船となった。インテリアの写真は殆ど残っていないが、イル・ド・フランスをモダンに、豪華さはイルと同等だったと伝わっている。
オークショナーが間違った解釈をしたとは考えにくく、恐らくは誰かが間違って”イル・ド・フランス説”を記述したものが拡散しつつあるのだと思っている。あるいは、時の流れに埋もれたL'ATLANTIQUEより、イル・ド・フランスの方がネームバリューがあると考えたのであろうか・・・ご丁寧に”SS Ile de France”なんて題名をつけてる記述もあった。何のこたあない、書いてあるそのままで宜しかったのに・・・
いずれにせよ80年余り前のことをお勉強するというのは、「こういうことなのだ」と猛省させられる”L'ATLANTIQUE”のポスターだった (了)